心の中の鳥居と御魂開き

本質的な”悪”というのはほとんど存在しなくて、人間の魂は純粋に同じ事物に対しては同じように反応します。

善人でも悪人でも等しく神社の鳥居を潜る事ができるのは、神道というものがそのような魂のレベルで人間を直視しているからであります。

神道(かんながらのみち)を志すものは少なくともそのようなラインを認識しておかなくてはならなくて、心の中に鳥が居つく(斎く「斎宮/斎王」)鳥居を持つという方向性も認識しておく必要があります。

しかし、人間が社会を形成し生きていく上では、どうしてもルールを決めなくてはなりません。それが法であり、決まりごとです。罪に対しては罰を、罰に対しては反省を促さなければなりません。自由とは制限であり、制限とは自由です。自由とは与えるものであり、与えられるものは本質的に自由ではありません。

自由はもらべき品にあらず 自らがつかみとるものである(自由民権運動

現代日本社会での悪はほとんどの場合【無関心と弱さ】が原因になっています。人の下にいる時は見えづらいですが、人の上に立つとそれが巨大な社会悪となります。だからこそ持てるものには義務があるのです。

太陽神が司法神であるというのはBE MY OGUNA=天照大神 〜とうとう開いた天岩屋〜記事で書きましたが、他者を裁くためには太陽のような光が必要です。太陽はどんなものにでも力を与え、別け隔てなく誰とでも接することができます。その平等性を以ってして太陽は他者を裁くことができるのです。wikipedia:正義についてあまり考えたことのない方が正義を振りかざしますと不公平性や不平等性を生み出すことがあります。

魏志倭人伝に描かれている邪馬台国の習俗の様子では、民は穏やかで礼儀正しい、に近い記述がありますから、そこには太陽神(司法神)の存在が認められます。現代社会がどうかと言えば、三権分立は破る、憲法は犯す、国会で嘘をつく、、、etc 弥生時代より野蛮な社会です。

そのような現状を認識し、自分たちに何かできることがあるとすれば、ひとりひとりが【無関心と弱さ】を【強い関心と強さ】に変えていくことです。何度も書いていますが、それを実行に移していくためには、正義の活動を手伝う、お金を出す、情報を拡散する、のいずれかしかありません。残念ながら口は動いても身体を動かしていない人がほとんどです。現状を肯定することは誰にでもできます。通常、人間の思考パターンは現状を肯定するようにできています。それが楽だからです。これは自己保存欲という欲望によって支えられています。

それを理想というヴィジョンに変えていくためには、自己保存欲を意識の上で超越し、自己犠牲に付け替えなくてはなりません。これは随神道(かんながらのみち)を進むことと同義です。

心理学的に言えば自我を失くすこと。エネルギー学的に言えばエネルギーを消すこと。密教的に言えば、曼荼羅の中心である大日如来の虚空のエネルギーと一体化すること。鉱物エネルギー学的に言うと、最大限の純化を行い、エネルギー伝道効率を最大化すること。その結果、自分の脳を通過する電気パルスが最大化するのです。それが大地のメッセージを受信する原理です。

何度も言っていますが、自分が特別な人間であると思っている内は脳が純化されていないので、私がリーディングするまでもなく、電気パルスはその人の脳を通過していません。だから当然、読み取れていません。これがシャーマニズムの物理学です。

電気パルスの通過儀礼というのは、『御魂開き』という魂の開きによって起こります。私もそれが何によって起こるかはわかっていませんが、ある時、現象世界が今まで以上に輝いて見え始める時があります。生死を彷徨った人がそういう現象に出会うということはよく耳にしますが、要因はそれだけではないようです。



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