【時即是竹】宵から始まる大和時間 〜 Forgivenessの西の果て 〜
今日はwikipedia:節分です。節を分けるというのは古代における重要な考え方です。節については何度か書いていますが、光 東方より 出づ記事をご参照ください。『節』という字が、<即ち竹>と書くこと自体が多くのことを物語っていると思います。色即是空は、<色即ち是れ空>です。このような4文字に節を直すならば<時即ち是れ竹>になります。つまり、時即是竹です。これが大歳神であり、ヤマトタケルでもあるでしょう。
ローマ神話のヤヌス(Januaryの語源)に関することは何度も言及しています。真実の歴史を取り戻すことが”日はまた昇る大和”の再生につながります。
昨日の記事に付け加えようと思っていた部分ですが長くなりそうなので、今日の分の記事にします。
昨日言及しました少しわかりにくい『Forgiveness』 と 『permission』ですが、神社を例にあげてみますと少しわかりやすくなるかと思います。
神社の祭神である、例えば比売大神などは私たち人間に『Forgiveness』してくれる女神です。ここで注意しなければいけないのは、これらの女神が私たちにGIVEするのではなく以前から書いていますように女神理を教えてくれることによって、私たちが私たち自身でForgivenすることを助けてくれるということです。
つまりGIVEするのは自分自身であって、女神はその原理(プリンシプル)を体現しているに過ぎないのです。だからこそ神社の中には善人でも悪人でもどんな人間でも分け隔てなく入場することができるのです。もし仮に神社の祭神が参拝する方たちをForgivenするという構図が存在すれば、それは宗教になります。
これは何度も言及しておりますが、神道は宗教ではなく生活態度なので神社の祭神がForgivenするというのは基本的に存在しません。しかし、人間は救いを求めたい生き物ですから、生活態度を改めなくても現世利益を与える神を神道にも載せてきました。
参拝には最低限のルールがあります。二礼二拍手一礼や手水の仕方などではなく、<神を敬う心を養う、もしくは神を感じる場所を尊ばなければならない>というルールがあります。以前、鳥居横に唾を吐いている人を見かけましたが中国の人でした。そのような最低限度を超えるような行為をしてはいけないという暗黙のルールがあります。これが『permission』に関わるラインです。
つまり、本殿には『Forgiveness』が祀られ、鳥居の中は『permission』で守られている。これが神社(聖域)におけるエネルギーの二重構造です。
二礼二拍手一礼を絶対しなければいけないと思っている方もいますが、それは単なる”体”であるので必ずしもそうではありません。全国には二礼二拍手一礼ではない神社もたくさんあります。重要なのは敬う”心”であり、”体”は”心”を養うために行う単なる反復行為です。本質を捉えていないかたは反復してやらなければいけないでしょう。これは心技体の記事でも詳しく書きました。
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