嵐山クリスタルパーミッション①

昨日はHMT嵐山ワークでした。

嵐電天神川からスタートです!

wikipedia:木嶋坐天照御魂神社です。木の鳥居と青空のコントラストがとても良い感じでした。

ヤスが非常に気になりました。【安/野洲/夜須/靖/康】
wikipedia:パルティアは、中国史書では安息と音訳されていました。ちょうど先日記事にしたホルムズ海峡の北側、ちょうどイランの位置にあった古代国です。ゾロアスター教ミトラ教が盛んであったようです。先日書きましたようにホルムズ海峡のトンガリとウズ。ウズはウズメで地形でいうと女形の場所。淡路島というトンガリウケモチは明石。そして嵐山には太秦(ウズマサ)、まさにウズ(女神)。

秦氏がやってくる前に既に縄文古来のウズの信仰が存在して、そこに秦氏がやってきたのですね。それを示すように木嶋坐天照御魂神社は湧水を祀る神社であり、根源は女神信仰であります。その近くに小倉山(ヤマトオグナ/子)がありますから、明らかに父・母・子/三位一体の信仰があります。問題は父親が誰かということです。

愛宕山かもしれないですね。トンがっていましたから。双子と愛宕は響きが似ているからアタは1(太陽神)を表わしているのかもしれませんね。サタでありサルタヒコ。サルレオも偉大な王。やはりサタは西。3×8=24(西)/3+8=11×2=ニニフニ(不二)の公式がまた生まれる。祭祀構造は秩父に似ています。武甲山と森の女神の結合。武甲は、しかも甲がついているので例の問題ともつながります。愛宕山太秦の結合。京都盆地におけるwikipedia:ミサキ愛宕山だった可能性が高いです。それをミカド(帝/御角)にしながら京都における律令国家・天皇制のベースが構築されていったのでしょう。

古代天皇制を近代化した人たちを導き出そうとしたのですが、縄文が出てくるのは意外。ウズマサに秦氏賀茂氏がいるのは彼らが強烈な女神信仰を持っていたことを物語っています。

愛宕山が火伏せの神という伝統を考えれば、桂川周辺部の古代は太陽神が愛宕山でありwikipedia:ミサキ、そしてウケモチがウズマサという形になるので、男性太陽神の信仰形態がここでは見られます。それがおそらく木嶋坐天照御魂神社の天照という文字につながっているのでしょう。

そして松尾大社。江戸時代に伊勢神宮と全国の信仰を2分したwikipedia:金刀比羅宮象頭山松尾寺金光院なので関係があるでしょう。海から上がってきた金の珠が松の木にひっかかるのですが、それがコトヒラの謂れ。ダイダラボッチの再起動記事でも詳しく書いていたと思います。

金の珠・金の刀・金の獅子と深い関わりがあるように感じています。これは桂川でしょうか。砂金のイメージも沸いてきます。少なくとも西側にそのルーツがある。宝塚の地名はその謎を解いてくれるでしょう。『安』が女に屋根を架けるという意味であり、宝は玉に屋根を架けるという意味です。これが売布神社の芽吹きにつながっているでしょう。女と玉、これをつなげるのは竜宮城。

そして梅宮大社の「産め(梅)や増やせや」のまたげ石。さすがに葛城王と関係が深いとあって参拝中サギが何羽も飛んでいました。ケツァールは立つという意味だから、やはり梅宮辰夫さんは梅宮ケツァール夫さんということになりますでしょうか。土佐弁で”山をあらす(山嵐)歩き周る”ことをタツクル(辰来る)と言います。なので、「吉野の桜を持ってきてそれが風で嵐のように舞ったから嵐山」と名づけられたというのは後世の付会でしょう。少なくとも葛城氏が桂川付近に土着した時に『嵐』の地名はついていたと思います。

そこに女神のウズマサ、コンピラ(金珠)の松尾、トンガリ愛宕オグナ小倉山があるので、ここに都が設定される前に既に重厚な文化があったということが伺えます。

気になったのは梅宮大社の参道メンヒル百度石とのセットですが、山梨に広範囲に広がっている文化です。このメンヒルのルーツはわかりませんが、愛宕山が昔は大山と呼ばれていたのではないかというインスピレーションと、アサマが磐長姫なのですが、松尾大社奥の院・磐座が磐長姫であったこと、そして松尾がお酒と深い関係があること全てを分析すると、酒折宮との関係が切っても切り離せないです。



Angela Aki 〜愛の季節〜

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