振った降った石神(意志の上) 開いたミサクチ ヤタガラス

雨の中、奈良巡礼に行っておりました!最高の天気で轟音の桃尾の滝を見ることができました。

轟きのロキの読みは、wikipedia:ロギである可能性があり、トトは鳥やwikipedia:カーリ (北欧神話)を表しているのではないかと思います。

(ほとんどの写真がぶれていました)
カーリの孫はスネーSnær(ウィキ)とされていますが、これはナガスネヒコとも関係していそうです。

つまり、古代大和の先住民族は、滝を巨人とみなしており、火(ロギ)と水と風(カーリ)の賜物と捉えていたのではないかということです。昨日、轟音の滝の前で少し目を閉じた時に、コンドルと強風を感じたこと、なぜか磯の香りがしたこと。縄文海進の時代でしょうか、古墳時代でしょうか、、大和高原の先住民族の記憶を読み取りました。

下記ページに古奈良湖存在の可能性が詳しくレポートされていますが(素晴らしい研究ですね)
縄文時代の江戸(古代で遊ぼ)私がもらったインスピレーションも、このような古代湖の存在無しでは考えられないです。

弥生時代に入って石上神宮も山上から里に徐々に降りていったと考えられますが、それと同時に大神神社もそのような経緯を辿ったということも容易に想像できます。しかし、大神神社が日本最古の社と呼ばれフルを象徴する鈴がないこと。一方で石上神宮元宮が桃尾の滝近くにあり、その奥の大国見山には大国主と呼べるような磐座群が存在すること。それと山添村の巨石群は密接な因果関係を持って存在しているでしょう。

それと以前訪問した笠置を含めますと巨大な高原巨石文化圏が見えてきます。そこにナガスネヒコ物部氏、そして北欧神話が絡まってくるのは必然であろうと思います。ヒノモトは火の元であると同時に氷の元、霊の元でもあります。

東大寺のすぐ近くにあります氷室神社です。

去年の6月に行きましたがちょうど氷室を祀っていましたのでラッキーでした。

現在は、あまり知られていませんが、江戸時代ぐらいまでは氷室の切り出しは一大イベントでした。凍った滝は、かなりの信仰の対象になっていたと思います。これを突き詰めていきますとやはり、北陸のウッドサークルにつながっていきます。

つまり、朝日を信仰する日ノ本国がまず存在し、そこに北欧神話を持つ人々が北陸に渡来し、日=氷であるという宗教意識が醸成されていった。(そのバックボーンには氷河期の体験があるので習合自体はそれほど難しいものではなかった)『姫』や『秘める』という語の大部分は、この”氷”からきていると思います。

そういう意味において、大和高原の巨石文化はある時期、白山巨石文化圏の影響を受けていたのではないかと思います。

昨日も話が出ましたが、ヒには日と比という書き方があり、比はwikipedia:比売神にも使われているように女性を表すものであると。以前にも少し書きましたが、日ノ本国ではひとつの物質/現象にフランス語のように男性形と女性形があったように思います。日という名詞に対して朝日大神が男性で夕日大神が女性ということです。なのでオオヒルメ(天照)は夕日の大神であり、月の女神でもあるのです。これは大日如来の信仰でもあるでしょう。これがヒメ・ヒコ制の基層ではないかと思います。

諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、建御名方神洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある[1]。また御社宮司、御左口など多くの漢字があてられるwikipedia:ミシャグジ

一気コールでお酒を飲む時に(お酒が弱い人はやめてくださいね)少しでもこぼす(モレル)とソソウ!ソソウ!と言われてもう一杯飲まないといけません。昨日、Mさんが古代チーズのことを『蘇』と言う、ということを言っていて気になりました。

"It's no use crying over spilt milk."(こぼしたミルクを嘆いても無駄)wikipedia:覆水盆に返らず

これも高校生の時に暗記させられた英語のことわざですが、今でも記憶があります。漏れるミルクがソソウの語源だとしたら、それはひょっとして天の川のことでは?と感じます。天の川はMilky Way です。

ゼウスは、自分とアルクメネの子のヘラクレスを不死身にするために、女神ヘラの母乳をヘラクレスに飲ませようとしていた。しかし、嫉妬深いヘラはヘラクレスを憎んでいたため母乳を飲ませようとはしなかった。一計を案じたゼウスはヘラに眠り薬を飲ませ、ヘラが眠っているあいだにヘラクレスに母乳を飲ませた。この時、ヘラが目覚め、ヘラクレスが自分の乳を飲んでいることに驚き、払いのけた際にヘラの母乳が流れ出した。これが天のミルクの環になった。wikipedia:天の川

そして、山添村には有名な鍋倉渓も天の川です。

時系列を整理しますと、【大和高原の宗教意識】氷河期太陽信仰/ベガ信仰⇒日月星信仰・森神/山神信仰(縄文前期・中期)⇒北陸の巨石/ノースペイガニズム文化、長江文化の影響(縄文晩期)⇒古代ギリシャ文化融合(弥生時代)「青銅器文化、金のクロス(国津/国栖/葛/九頭竜)、青銅(金→青) 」

石上神宮に行った時に強烈に出てきていたのはケルト紋様の金のクロスです。おそらくは青銅器であると思います。十字の文化というのは大和高原に元々、存在したものであり、物部氏が習合していた文化がその古い層と共鳴し、復古的なエネルギーが巻き起こってきたのが薄っすら見えました。

イヅモのイヅは斎であり、伊豆であり、磯であり、wikipedia:五十猛神でもあります。ちなみに昨日ご紹介しました播磨国総社・射楯(いたて)大神は五十猛神です。高知には石立(いわたて)があり、石立十字路(いわたてじゅうじろ)があります。洪水(神水)の流れを止める巨大な石神(巨岩)をイトメ(射止め)神と呼んでいます。磐に斎く斎宮(いつきのみや)という観念がここから出てきたのは明らかです。河の流れに対して十字を立てるのです。後の国常立の起源にもなっているでしょう。つまり、洪水の流れを食い止める巨岩を最大限の敬意を持って神格化していたのです。これは各地に見られる信仰です。これは門神の起源でもあります。石門別(いわとわけ)のイワトもイタテ/イワタテ/イトメの派生語でしょう。大洪水の中でどんな水圧にも負けないイワタテは、私たちにとって大黒柱(大国柱)でしょう。

幽霊船から戦艦大和へ 〜 ホサキに留まるはミサキ神 〜記事で書きましたが、この裏には、十字を立ててイニシエの巨石時代へと戻そうとする物部氏の強い覚悟と意志があるような気がしてなりません。物部氏のテンカウント「力への意志」が存在します。

桃尾の滝と大国見山の巨石の存在を確認した時、大和高原も大国主文化圏に含まれていたことを認識しました。高知の椙本(すぎもと)神社が、元々のダイコクさん伝承があること、そしてそこが古代、神河(みわがわ)と呼ばれていた河口域に存在すること。そこの神紋が3つの輪であること。(何度も書いていますが勧請の歴史だけを見て、”だからここは文化の享受地だったのだ”と判断するのは非常に拙速な思考回路であると思います)
その対岸に国常立を祀る国宝・大刀を伝承する小村神社が存在すること。大神神社(玄松子さん)の神紋のひとつが三本杉であること。wikipedia:五十猛神林業の神であること。植林しなければいけなかった理由は、タタラの製鉄でたくさんの木が伐採されたという裏事情があること(つまり五十猛神を祀るグループは、青銅器文化を支持していた可能性が高い=金のクロスはそれを意味している)

総合して結論を出すと、物部氏はオリエントの様々な宗教を取り入れながら日ノ本国の宗教改革を推し進めながら、朝鮮半島の植林の神などを信奉するグループたちと連携をしながら鉄部族と対抗していた痕跡があります。

ナガスネヒコ物部氏に地位を譲ったのも、物部氏が鉄部族でなかったことが大きな要因ではないかと思います。住之江(澄みの江)を維持するために葦から錫を抽出して鉄器に近い金属を生成できたとしても、水を汚すタタラはやらなかったのではないかと思います。

フル(石上神宮)の象徴が錫(鈴)へとつながっているのですが、伊勢の象徴・鹿山脈と密接な関係がある伊勢神宮に一切、鈴がなかったり、大神神社に鈴がないという事実は、とても大きい隠喩があるように思います。

フルをフツと断ち切ってしまうというのは音(フル)を断ち切った象徴・音断ちばな姫(弟橘姫)にも表れていると思います。磯が海人族を意味するように弟橘姫も海の怒りを鎮めるために身投げをしました。彼女は橘皇后(たちばなのおおきさき)と呼ばれていたのですが、橘とは本来、永遠を表す皇室の象徴です。音鳴りは3年前のドラゴンアナスタのテーマでしたが、今でもその重要性は変わっていません。

石上神宮の問題は、石土(いわつち)神社が石鎚(いしづち)神社へ変わったことと関係していると思います。つまり、イシという読み方はイソからきており、それ以前はイワではなかったでしょうか。

天理教の初期資料で、幕末 - 明治期に地元では『いわがみさん』と呼ばれていた事が判る。wikipedia:石上神宮

これは磐長姫の問題とも関係していますよね。『いわがみ』がニギハヤヒが降り立ったとされる『いかるがみね』に似ているのは偶然でしょうかね。いえ必然だと思います。ここの時系列を整理すると①物部氏が海人族イソⅠと結合⇒②鉄器海人族イソⅡに敗北(イワからイソへ)⇒③鉄器海人族イソⅡも何者かに敗北(弟橘姫の身投げ)

それと石上神宮付近に柿の木が多いことが気になりました。人麻呂の碑があることも関係していると思いますが、柿が先住民族の何かを意味しているのは、やはり柿の木が成熟するには8年かかるからであり、回青橙・タコ・柿は大きなキーワードですよね。これを考えますと八葉(蓮)の山に囲まれた高野山も、むしろ先住民族系文化の復古運動になるかと思います。日本の文化は本当に面白いですね^^

お昼は、天理駅近くの豆腐のお店で頂きまして(おいしくてかなり長居してしまいました^^;)

その後は大神神社境内社狭井神社に行っていました。雨だったので人も少なく心地の良い参拝でした。ここで巡礼ワークは終わり。大人7名子供5名の雨業でございました。ご参加頂いた皆さま、どうもありがとうございましたm_ _m 随所にお気遣い頂き助かりました。

その後はお決まりのお楽しみ会!ヤタガラスという地鶏店に行きました♪掘りごたつ式で最高でした。すごい雨だったので靴も靴下もズブズブでした。いつも記憶を失くしているのが好評ではないので(?)抑え気味で飲みました。日本社会のwikipedia:ミサキ的活動であると思っているのでヤタガラスの守護は重要です。いつも最後までお付き合い頂いている方々、本当にありがとうございます。また楽しみましょう!



B'z RUN
実は2回目のご紹介です。

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