やっちまったぜのヤチマタヒコ

kohya_hibiki+spirituality2012-05-17



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いつもありがとうございます。

南宮大社巡礼に関しまして“咳が原”というキーワードを書かせてもらっていましたが、少しわかりづらいという声も上がっていますので、もう少し踏み込んで書いてみます。

ご興味のない方もいらっしゃると思いますが、少しだけ日本列島地形ファンタジーにお付き合いくださいませ^^



車で関ケ原を抜けて濃尾平野に出ると天候や気温ががらっと変わる時が多いです。

琵琶湖の天候は日本海に依存している傾向がとても強く、関を抜けて西から東に進むと太平洋側の天候に左右される傾向がとても強いです。

古代の人たちはそのような“空気の違い”にとても敏感ではなかったでしょうか。


仕切りとか境目とか言いますが、古くは弥生時代の磐境(いわさか)にまでその起源は遡ることができると思います。

昨日から『やっちまったぜぇ〜』という声がしますが(軽くスルーして下さい)“やっちまった”は、八街(ヤチマタ)でヤチマタヒコ(猿田彦)や道祖神とつながります。



昔は、村の入り口に縄や鳴り物を置いて悪いものが入ってこないように願掛けをしていましたが、自分の体内についても同じような認識で捉えていたと感じています。ごくごく(5959)最近までの話しではなかったでしょうか。

つまり、大地と自分の身体を同じ論理体系だと考えていました。とても合理的な捉え方であると思います。

そういう意味で“空気の変わり目”というのは、体内と体外の変わり目、境目、つまり、『口』と捉えていたのではないでしょうか。

大国主の別名である大穴持は、境目の穴(口)を沢山持っているという意味だと私は捉えています。“御生れ(ミアレ)”が地上で行われる時は、龍穴が拝まれます。




こんな感じで関ケ原は『口』であり、境目であるわけでございます。

『口』の部分に伊吹山(息吹)があるのは偶然ではないと思います。

赤ちゃんが産まれたと判定されるのは、お母さんのお腹から出てきた瞬間ではなく、最初に息を吐いた瞬間です。現代は、死産や幼い時に亡くなる確率が比較的少なくなりましたから息吹神(風の精霊・西洋ではルーアハ)に対する願いよりも医学を信奉しているので、これらの思考回路というのは捉えにくいものがあるとは思います。

そしてその息が長くなるように、、、という願いが込められている名前が神功皇后の息長氏ですよね。

滋賀県長浜市米原市は、昔は坂田郡であり、坂田金時坂田郡の人であると伝えている。今も長浜市には足柄神社や芦柄神社が何カ所もあり、子ども相撲が今も連綿と行われている。なお、この地域は古代豪族息長氏の本拠地であり、金時はその一族であるという。王の文字はマサカリの象形文字で、腹掛け姿は鍛冶を象徴することから、いち早く鉄文化を手に入れた豪族というものである。
wikipedia:金太郎

あまり深く入り込むとまたやっちまったぜになりかねないので、このへんにさせて頂きたく思いますが、明らかに古代豪族息長氏は、地形から捉えられる息吹の法則を知っており、古代大和人はその息長氏の『風の聖書』をいたく信奉していたということになるのではないかと思います。


私のヲタ度がまたまたばれてしまいますが、風と言いますとwikipedia:風来のシレン を思い浮かべますが、これはトルネコダンジョンの続き。米原付近で昔から気になっているwikipedia:河内風穴。おそらく古代は【御生れ(みあれ)】の聖地であったと思います。

息長氏がそこを管理していたかどうかは、今のところわかりませんが、そのうち調査にいってみたいと思います。


咳に関することに話を戻しますと、咳き込むのは、喉が異物を感知した時です。村の境界線にある鳴り物も異物を感知した時に咳き込みます。

咳は感知機能です。関は為政者にとっての感知機能です。勧進帳のように関をすり抜ける場合もありますが、その場合は人間ならば感染、為政者の場合は『やっちまったぜぇ〜』になります。


ゴホゴホ、コンコン(来ん来ん)。


坂を転げ落ちるように病状が悪化すると言いますが、神話の中でも境目と坂はつながっています。おそらくこれは口を通り過ぎると食物が転げ落ちるところから来ているのだと思います。坂本や忍坂、、重要なキーワードです。イザナギイザナミを閉じ込めたのも喉ボトケと関わっていると思います。声・口・音、、これも大事です。


お歯黒のことも以前書きましたが、歯(葉・八)を黒く塗ってカチカチするのも悪いものが入ってこないようにする儀式ではないっでしょうか。

八咫烏の黒さなんかもこんなところから来ているのかもしれませんね。

”やけのやんぱち”という語もありますが、焼けて(八けて)黒焦げて邪気を飛ばすというのは、何か古代人の重要な思考回路だと感じます。

地中海やアイルランドのエリュシオン信仰は、西に死者の楽園があるという日本の西方浄土に似た信仰ですが、日本に元々あったのは上記の【黒焦げ信仰】ではないでしょうか。。

これはたぶん黒龍信仰にもつながっていますよね。

夕焼けで大きく焼けて”公(おほやけ)”になるというのは、豊受大神の夕日大神の信仰ではないかとも思います。

”黒焦げ”は結局、炭になってくると思うので、くるくる回ってまた住吉(澄め・皇)になってきます。

炭は、山の灰とも書きますので、この信仰を持っていた人たちの埋葬法はおそらく火葬だと思います。ゾロアスター物部氏のつながりは結構、濃いと思います。灰汁に対する私の信仰もその時代のものであると思います。

後のフダラクにつながる水葬や風化させるモガリの風習など、エレメントで分岐したそれぞれの氏族の通過儀礼があって、それらがある程度調和して大同団結していた古代大和とは本当に偉大な国だなと思います。

そういった異なる宗教意識の中で皆がそれぞれでスメ(素目)とかコウ(皇)に天子を重ね、調和しようとしていた意志に心打たれます。肌の色や宗教が違っても人間はひとつ、まさにアメノコヤネであり、人類皆兄弟であり、八紘一宇ですよね。

大和の気質、大文字の精神は私たちがこの地上からいなくなっても何千年、何万年と変わりなく生き続けることだろうと思います。


徳島県の金丸八幡神社(玄松子さん)、磐境で有名です。歯型に並んでいます。皇護石とも呼ばれているようでこれもコウ(皇)です。そして神功皇后、金、そして鉄です。なんと言っても八幡、八・八・八・歯・歯・歯、、カチカチ、コチコチ、カキンカキン(火金火金)、決戦は金曜日でも火曜日でもないのですが。

歯形は今でも神社の境を示すものとして木で表されていますよね。ヤヒロワニの歯型と私は個人的に呼んでいますが。。


今日もお付き合い頂きましてありがとうございます。

動画は Eric Clapton - Tears in heaven です。



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