幽霊船から戦艦大和へ 〜 ホサキに留まるはミサキ神 〜

1964年にはノーベル文学賞に選ばれたが、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と言って、これを辞退。wikipedia:ジャン=ポール・サルトル

と言った有名すぎる哲学者サルトルですが、私が行動哲学派なのも彼の『思想とは行動である』の言葉に影響されたところが大きいと思います。

彼がチェ・ゲバラの革命思想を支持していたのは有名な話ですが、その頃日本人は既に拝金主義へと傾倒し、ゲバラ来日の際にも冷ややかな対応で迎えたようです。この頃から既に今の状態は予見されていただろうと思います。

昔、石原都知事が『テポドン一発でも日本に落ちれば日本人は目が覚めるだろう』という発言をしました。本当にその通りだと思いました。しかし、実際に広島/長崎に落とされた原子爆弾の7万2千倍の放射性物質を拡散している福島原発人災においても未だ無関心な人がいるのには驚きを隠せません。つまり、福島に原爆が7万2千回落とされているのに、『他人は関係ない、私は私の生活で忙しいから・・・』とまるで、東京の地下鉄で倒れた人がいても誰も手を差し伸べないような雰囲気が本質的に存在しているのです。さらには、第二、第三の事故が起こっても構わないような考えを持つ人間たちが政権と結びつき、この国を動かしている。

悪い人間が人の上に立つということは過去の歴史の中でも幾度となく起こってきたことなので、それ自体は必ず人間の良心のほうに向かっていくだろうとは確信しているので心配はしておりませんが、私が問題視しているのは、普通一般の日本人の判断力です。

風評被害だと言って福島の野菜を事故直後に東京にまで持ち込んで販売していた人たち、頑張ろう日本/だいじょうぶ日本などと言って具体的な行動を何ひとつしていない人たち、この期に及んでも自分だけが利する行動を追求する人たち、、、etc

TPP旗頭である民主党・前原氏が外相を辞任させられたのが東日本大震災のわずか5日前でした。彼が力を挽回してくると同時にTPPがあたかも全日本人の国益であるかのような錯覚がもたらされました。それが陰謀であれ、偶然であれ、日本最大の農業ブランド・東北が震災とTPPによって再起不能になってしまったことには強い因果関係があるでしょう。

牛肉と小麦、とうもろこしを輸出したいアメリカ、同じく牛肉と小麦を輸出したいオーストラリア、国内の強烈な反対運動でTPP参加が見送られていたニュージーランドが輸出したいのはキウイ、そしてそれらの国に工業製品を輸出したい日本の経団連、その利益の恩恵を受けたい政治家、全員の利益が合致しています。その蚊帳の外にいる人は誰でしょうか?単なる弱いものいじめであると思います。戦前の日本人はこのような弱いものいじめと搾取と支配を失くすために命を賭けて戦いましたが、その子供たちである世代は、原発利権という強者の前で、力のない子供たちが死んでいったとしてもお構いなしなのです。

私が大学でwikipedia:ジョン・メイナード・ケインズの「アニマル・スピリッツ(血気)」を習った時、人間はそれほど馬鹿ではないし、ましてや日本人はもっと利口なはずだと思っていました。しかし、フクイチ後の日本を見ると一部はとても覚醒してきてはいますが、大多数が作る雰囲気というのは、まさにケインズのいうところのアニマル・スピリットなのです。wikipedia:ブロイラーはブロイラーであること自体が幸福なのではないかと感じます。つまり、私ひとりが勝手に、人間やその他の生命にはもっと尊厳があるはずだと思っていただけで、当事者たちはアニマルでしか生きようとしていない、アニマルから脱することを欲していないのです。

大学の教授が、このケインズwikipedia:ヨーゼフ・シュンペーターの対比が好きで、1年間それを言い続けていたような人だったので私はこの教授のことをアホだと思っていましたが、10年以上シュンペーターばりのイノベーションを実践し続けている私が講義をすれば潜在的ケインジアンの学生からアホだと思われるに違いありません。

私たちの大学からも官僚になる人たちはいるのですが、問題なのは、学習の根本に未来への対処よりも過去への理解に重きが置かれている点です。それを続けていると今まで起こったことのない未知なる出来事に対処できない人間ばかりが霞ヶ関に集まることになります。

先に述べたブロイラーと未知なることに対処できない官僚、これが現在の日本をあらわす重要なキーワードです。その結果、生み出されるものは、未来ではなく過去から導き出される官僚の苦肉の対処策とマスコミから垂れ流される情報を鵜呑みにしたブロイラーの人たちの無関心なのです。

これは幽霊船に例えることができます。どこへ行くのか全くわからない、だけれども中にいる乗組員たちは雄たけびを上げて必死にオールを漕いでいるのです。あまり出会いたくない光景です。しかし、私は毎朝、目が覚める度にその光景に出会います。

幽霊船には霧(煙)がつきものです。雲が出ているのは出雲ですが、雲が晴れることがこの幽霊船を戦艦大和にする方法であるとも思います。先月、岩戸開きは起こったのですけれども、まだまだ乗り越えるべき壁はたくさんあるようです。

しかし、加護は来ています!籠の中の鳥とは篭り/子守/小森であり、ヒナであります。そこに鳥居ができるわけであり、神社神道のかなりの部分が鳥の文化と関わっていることがわかります。星の御嶽と十一面観音記事の中で

鳥居という観念/言葉そのものが、巨岩の上に降り立つコウノトリから来ているというイメージも受け取りました。天石門別神・櫛石窓神・天力男神は本来、ここに祀られているものでしょう。弥生時代はここから上流が天上界でここから下流が下界という風に設定されていたように感じました。

と書きましたが、これらはやはり大国主文化圏のものではないかと感じます。そこには先日から言及しております『煙』のことや男性性と女性性のバランスなどの問題が含まれています。

出雲と聞くと気分が滅入ってしまうのですが、雲が出るということは古神道において本来”死
”を意味します。誰の”死”かと言いますと大国主です。中国四国地方に強烈に存在したかつての大国主文化圏のお墓が北の出雲に存在するだけであり(この部分は菅原道真の天神さんと同じ意味を持ちます)その部分だけに意識を集中しますと、かえって大国主を閉じ込めてしまうということも少し述べておきたいと思います。

イヅモのイヅは斎であり、伊豆であり、磯であり、wikipedia:五十猛神でもあります。ちなみに昨日ご紹介しました播磨国総社・射楯(いたて)大神は五十猛神です。高知には石立(いわたて)があり、石立十字路(いわたてじゅうじろ)があります。洪水(神水)の流れを止める巨大な石神(巨岩)をイトメ(射止め)神と呼んでいます。磐に斎く斎宮(いつきのみや)という観念がここから出てきたのは明らかです。河の流れに対して十字を立てるのです。後の国常立の起源にもなっているでしょう。

つまり、洪水の流れを食い止める巨岩を最大限の敬意を持って神格化していたのです。これは各地に見られる信仰です。これは門神の起源でもあります。石門別(いわとわけ)のイワトもイタテ/イワタテ/イトメの派生語でしょう。

大洪水の中でどんな水圧にも負けないイワタテは、私たちにとって大黒柱(大国柱)でしょう。その様子はまるで大しけの大海原を星に向かって進む舟のようです。前をサキ、後ろをトリと呼びます。しかし、ホサキにはミサキ神・鳥を祀ります。先日、廣田神社に伺った時に、宮司さんや禰宜さんからホサキにアラタマを祀ると聞きました。目からうろこでした。アラタマとは荒魂というよりも顕れる魂であると、、、それを和魂で安定させると。皇居に帰りたくないと言って神功皇后の舟がくるくると回って留まった先が廣田の地でした。だから天照大神の荒魂をお祀りしているのです。和魂は倭姫が鎮まる場所を探して各地を放浪しました。それが元伊勢です。つまりホサキが廣田で中央が伊勢なのです。





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