ビューティア大祭①〜白銀の砂時計〜
愛されたいと願い
認められたいと願い
夢を実現したいと祈る人間
儚くもうつろい
生まれては消え 消えては生まれる
三千世界の魂の中でうつろわないその魂
華厳の園に咲いた花
白銀の砂時計を反すその手に
愛と美と知性の女神 宿る
こんにちは、ご無沙汰しています。
ビューティア大祭ワークで吉野に来ています。
もう桜はほぼ散っているので幾分空いているかなと思いましたが、予想はだいぶん外れて騒乱状態寸前の混雑さです。ミシュラン発刊後の高尾山並みです。
昨日、桜吹雪とコノハナチル姫のメッセージを受けて今日は吉野で本物の桜吹雪。吉野山入り口の湧水にはセオリツではなくハヤアキツがまつられていたので、なるほどと納得。
親戚でもあるのですが西行の史跡、あるいは詩が響いています。
吉野の葛もちは絶対に外せないマスト。加茂のミタラシとともに先住民系の電気パルスを手に入れたい方には必須。クズを切るとは言ってもクズとつながるという意味もある。
クズとはもちろん先住民族のメタファ。国津であり、楠であり、薬であり、九頭。
薬はスクナヒコナ。湧水と岩はオオクニヌシ。悲劇のヒロイン化されてイワナガ姫、シンボリックメタファ化されて岩清水、そしてサクヤヒメでコンパイルされてコノハナチル姫
桜が散る事に“the end”ではなく“beginning”を感じていた私たちの先祖。広葉樹林にとって桜のじゅうたんは栄養を育む滋養。視点が変われば意識も変わる。
往路で畝傍山が気になっていたので畝傍山に立ち寄りました。驚異的な女神山ですね。イメージしていたものと全然違います。悠仁親王も神武天皇陵、伊勢神宮を次々にご参拝されているようで私も初めての参拝をさせて頂きました。
先程の吉野とはうって変わって誰もいない御陵。何かがおかしいような気がしましたが、ゆっくりと卑弥呼との対話。驚きましたがこのようなストーリーだとは思いますせんでした。
神武東征記とは卑弥呼の御霊が橿原に入るというメタファだったんですね。それが昨日のコノハナチルヒメの桜吹雪、そして今日のハヤアキツ姫、そして今日、発射されるかもしれない高句麗の三位一体ミサイル。
そう言えば今日、孔明と卑弥呼という展示会のポスターを見ました。やっと合理的な流れになってきたかと感じました。卑弥呼は魏と国際貿易協定を結んでいた非常に聡明な女傑。それを未開の女首長のように捉えてきた戦後歴史学は明らかに間違っています。
しかもその頃、クナコクという軍事国家と争っていたわけでありますので、帝国主義を採用していなかったことは明らかです。にも関わらず新井白石以降、卑弥呼を帝国主義の女帝と位置づけようとしたがる日本人には首を傾げたくなります。
ヤマタイが軍事国家であったならばそもそも魏と交渉などしていないでしょう。
畝傍は“火”の象形
古代大和の人たちにとって日の神とは噴火の神であり、火花の神。
太陽への漠然とした一神教的な信仰は電気に満たされた戦後日本の特異的なノスタルジックブルース。ゾロアスター教が日本に驚異的に根付いたのは拝火の深層が古代大和の人たちにもあったから。
熱いその心のウネビ
rising your heart feel so good
just like birds of fire
みんな 見つけて
fighting a goddess wind
find the latest knowing
ひとつは在るのさ その炎
いつもワークをご受講くださっている方には感謝です。
関西圏での進展も徐々に進んできており、順調ではありますがそれでも依然、関東とは5年程の開きがあります。
開きを縮めていくためにはクオリティの高い人たちが真摯に時代に向き合い文化を牽引していくこと。
最近、ご連絡をくださる方々などはとても創造性が高く自主性に富んだ素晴らしい方々です。
謙虚さが素晴らしく持続力があり、徳も高い。成長とチャンスの女神はこのようなかたたちに微笑むでしょう。
これまでの古いタイプの人たちをどんどん追い越して活躍されることと思います。
私もそのようなかたたちと関わることは幸せですし、できるだけそのような素晴らしい方々にエネルギーを注がせて頂きたいと思っています。
古いタイプの人たちというのも意志や意欲を再び持つことで、常に新しい創造者に生まれ変わることができます。誰かに誉められないとできない、誰かにお膳立てされないとできないというのは内側の燃え盛る炎によって意志と意欲を持つことができないから、そういう状態になっています。それを改善するためのメソッドはビジョナリーセッション内に数多くあり、その両方を放棄しているのは自らが無限ループを選択していることを宣言するようなものです。
ビジョナリーワンでは新しい時代の創造者を募集しています。これまでの不特定多数への情報発信ではなくピアツーピアのクラウドサービスのスタイルも定着してきましたので、より先鋭化されたアートとサブカルチャーの融合の世界へと旅立って参りたいと思います。
可能性はひとりひとりの心の中にあります。
目覚める時代のリバーサーたち