Let me down cool the change 〜 幻影の力 〜

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昨日は『アテルイ伝』が放送されていてとても興味深く見させて頂きました。


後期大和朝廷があそこまで悪く描かれるのは律令国家がスタートして以来初めてではないかと思います。


それほどに今は正しいものの見方をもった人が増えてきているということでしょう。


“正しい”というのは少し語弊がありますね。古代大和はあらゆる宗教と民族が大同団結して完成された世界で唯一の合議制民主主義連合政体であったので“正しい”“間違い”という価値観さえほとんどありませんでした。

ヒッタイトの公用言語は6言語。当然のことですが古代大和でもそれぐらいの言語は飛び交っていました。そのような時代に人間がひとつの集団を形成する時に何が必要かと言えば“同じFaith”、“ひとつのGod(Goddess)”です。古代オリエントでは国境が地形で区別化されていたわけではないですが、Faithの違いで明らかなクニの線引きが為されました。

そのような時代に古代大和がどのようなFaithで建国されたかと言えば『酒と躍りと笑い』です。これらは日本神話の天岩戸開きの直前に記された人類共通の普遍的価値です。

“アメノウズメが肌をさらし八百万の神々がどっと笑った”という神話の中に『言語、民族、宗教の壁を越えよう(ムスヒ)』という大和建国のファーストメッセージを読み解けなければその後の歴史を深く理解するのが困難になります。

現代日本人は地政学的な線引きで国が分かれないことに甘んじてきましたから信じるものの違いでクニを別つという感覚を本質的に理解することが困難な状況になっています。それは同時にFaithの違いを哲学的に認識することができない哲学的劣位の人たちを膨大に生み出す土壌にもなりました。

それを少しでも変革するのが私の仕事でもありました。

蝦夷と後期大和朝廷が袂を別けていた時代はそのような意味において重要な時代です。


古代大和で最も排除されたのは“力”で物事を解決しようとすること。


“力”とは何か?について古代ギリシャよりも深い思考と議論が繰り返されていたからです。

古代ギリシャの『民会』が日本のどこに根付き日本史とどのように関わったのかも以前詳しく書きました。ちなみに『民会』は直接民主制を確立させた民主主義のプロトタイプです。


物部氏と“力への意志(西洋哲学)”についても以前のブログで散々、書かせて頂きましたが、人間がなぜ“力”というものを授かったかについて当然のことですが古代大和の人たちは哲学的に深く認識できていました。


この『愛と力』の本質的議論についてはラビングアース設立時より10年以上に渡って書いてきています。変革期に当たる現代においても最も重要なテーマであるからです。

日本は国家を構築するのか、それとも文化結合連合政体で緩やかに協力していくのかに今でも揺れ動いている珍しいクニです。他の国は前者を選んで存続したか後者を選んで滅んだかのいずれかです。

何度も書きますが後者の連合文化政体は前ヨーロッパの巨大ケルト連合、そしてマヤ、アステカなどの中南米の一大文明圏、我が国の蝦夷などに存在しました。しかし先住民連合の軍事的劣位は民主主義的過ぎて団結できないという点にありました。それは古代ローマに各個撃破されたケルトを検証すればひとつの類型を導き出すことができます。
塩野七生さんは古代ローマケルト懐柔策が優秀だったためと、ケルト制圧の根本的要因をローマ側に求めていますが相手がローマでなくともケルト帝国主義という時代の流れに負けていたでしょう。

インカ・アステカもまたその流れに贖う術を持てませんでした。


戦後歴史学によるひとつの大きな誤謬は律令国家建国以降、蛮族視された蝦夷や土蜘蛛は後期大和朝廷よりも進んだ文化を持っていたということを想定すらしていない点です(想定外を想定できないという点において原発や笹子と同じ)。

関東の古墳が畿内の3倍も存在しているという事実、そしてそこから古代オリエントにつながる装飾品が次々と出土していること、そしてワカタケル鉄剣。黒潮経由の南伝文化があったことは確実でしょう。


賀茂氏秦氏物部氏さえも歴史の表舞台から姿を消したのは現在でも続いている直接的単眼的な見方を多くの人が持っていてどこに何がどう引き継がれたかを見通すことができないからです(この見通しの甘さも原発や笹子と同じ)。


日本書記にあるような酒を飲まして騙し討ちをするなどあり得ない話です。ウジノイラツコの逸話は何が日本人であるかを教えてくれます。(日本的霊性を魂で理解していなければ文献至上主義に陥りがちです)


田村磨呂も実はアテルイを助けようとしていたという話しは当時の大和がやむにやまれぬ大和魂のもとで動いていたということが推測できます。単なる善悪の話しではありません。


鉄と律令をとるか自然と精霊をとるかは、現代の原発と国防をとるか命と子供たちをとるかの問題に似ています。1300年周期でやってくる哲学テーゼです。


2600年前の皇記00年ではあらゆる宗教文化民族を飲み込んで大同団結したことが中国を超える大きな力を有しました。


1300年前はそれなりの文化芸術軍事力がありながら驕りがあったため白村江で大敗、世論が一気に鉄と律令に傾きました。

鉄を巡る攻防は権力というものが日本人の中で芽生え始めた頃から始まりましたがそれでも尚、白村江の大敗直前までは八十島・天の川祭祀が行われていました。子は宝、父母子三位一体、イヨマンテ、などの先住民的思考回路はその頃を頂点にして一気に瓦解しました。頂点というのは文化的意味においてではなく、先住民的思考が国家という概念と結合して成し遂げられた珍しいケースという意味において。


もちろんその祭祀に土蜘蛛や蝦夷が深く関わっていたことは言うまでもありません。本質的には彼ら先住民の思想が根本にあり、賀茂氏秦氏などか持ち込んだ古代ギリシャ、エジプト、ケルト、その他オリエント世界の様々な宗教哲学がそれらと融合し、国家祭祀になりえないような精霊信仰のようなものまで大和ではシステム化されました。

アボリジニの人たちが古代ギリシャ哲学を吸収し、カルタゴのレベルにまで文明を昇華させたと言えばわかりやすいでしょうか。実際にカルタゴを含むフェニキア連合政体は存続していれば古代大和を超える極度にシステム化された先住民的政体になっていたでしょう。ポエニ戦争で負けていなければ。そこで敗れた高度な宗教意識をもった人たちが日本にやってきて土着しました。それが賀茂氏です。縄文の連合政体が彼らの理想とするものだったからです。


カルタゴの建国と大和建国の時期はそれほど変わらないです。帝国主義へ傾斜し始めた古代ローマとの戦い、そしてシチリア島を巡っての領有権攻防は淡路島を巡って中国の帝国主義思想と攻防した賀茂氏秦氏、先住民連合とも重なります。


日本人が世界で最も強大な“力”を持つ時、それはあらゆる文化を“結”い“唯”になった時だけです。軍事力(戦前)でも経済力(戦後)でもない。

この時代的テーゼを本質的に理解するグループが出現した時に日本と世界は一気に変わる。


私たちは一度墜ちてクールに立ち上がる幻影の民なのである

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