信号機の色と青龍 〜お茶からニギハヤヒへ〜

今日はうって変わって左脳全開の記事で^^
緑に関することで重要なのは、お茶。下記はお茶についてのマニアックな記事。

阿波番茶と土佐の碁石茶
 四国には変わったお茶の製法がいくつも伝わっています。なかでも早くから注目を集めていたのは、土佐の碁石茶です。これは茶葉を蒸してから床に積んで筵で覆って発酵させ、さらに桶に詰め込んで重しを載せて再度発酵させ、3cmほどに切って天日干しします。ちょうど碁石のような形をしているところから、碁石茶と呼ばれています。
 また徳島県相生町上勝町(かみかつちょう)で作られているのが阿波番茶です。夏の暑い盛りに茶葉を一枚残らずこき取り、それを煮てから揉み、桶に漬け込んで発酵させ、天日に干します。碁石茶が主として瀬戸内海の島々に売られて茶粥になったのに対して、阿波番茶は普通のお茶のように飲まれます。このように、茶葉のもつ酵素の働きによらず、バクテリアによって発酵させた茶を後発酵茶といいますが、じつは阿波番茶と全く同じ製法の茶が、中国やタイの少数民族、さらにはミャンマー各地で作られています。タイでミアン、ミャンマーでラペソー呼ばれる、漬物茶です。
 これらはそのまま食べるのですが、漬け込むところまでは全く同じ製法です。しかも、ミャンマーの場合、規格外品などを干して普通の茶として使うこともあり、結果として阿波番茶と全く同じものになります。
 遠い東南アジアと同じ製茶法がなぜ、四国にあるのか、地元では弘法大師が伝えたなどといっていますが、この不思議な一致は、日本の庶民の間に伝わった茶が、その製法や利用法などを含め、中国大陸、東南アジアと何らかのつながりを持つものであることを示しています。(O-CHA-NET

碁石茶に関して私も少し調べたことがあります。知り合いの知り合いが栽培/販売をしているので、そこから情報を頂いたりしましたが、今のところ出ている私独自の結論は、碁石茶はかなり昔から自生しているということと、それが弥生時代に発展した高地性集落と深い因果関係があるということです。おそらく銅鐸とも関係があり、鳥wikipedia:トーテムとも深い因果関係があると思います。

渡来文化のことを考える時、漫画文化のことを例に挙げると捉えやすいです。2000年後の日本人が失われし現代文明の痕跡を漫画本遺物に重ねる時、【漫画はアメリカという古代国家から始まったから2000年前の我が国に漫画文化を持ったアメリカ人が大挙として渡来してきて日本の平成文化を作ったに違いない】と分析するかもしれません。でも実際は違います。漫画文化もトランジスタもそれ以外の様々な文化もアメリカ発祥のものが多いですけど、それを日本式に転換してより良いものを作ったのは日本人です。この傾向というのは古代においても同じだったと考えるほうが自然です。これは日本国を考える上で重要な視点だと思います。

お茶と言えば、私は宇治抹茶を真っ先に思い浮かべますが、日本人の緑茶や抹茶に対する並々ならぬ想いというのは、単に飲み物というレベルを超えていると私は感じます。つまり、古代における翡翠への信仰心やその他、緑色の何かに対する信仰心をバックボーンにしているのではないかと思うのです。

碁石茶/阿波番茶は緑色ではないと思いますが、阿波の吉野川の石は日本最大の石庭と言われる幡龍庭高野山の魅力)に使われています。

この吉野の石はどちらかと言えば緑であり、信号機の色はどう見ても緑なのに、それを青と呼ぶのはどうもここから来ているのではないかと私は感じます。

空海ゆかりのwikipedia:青龍寺 (西安市)は、天台宗の円仁や円珍とも関わりが深いです。

銅鏡に刻まれる最も古い魏の元号も青龍三年(西暦235年)です。これは卑弥呼にもかなり深い関わりがあったとされ、この緑と青を巡る謎は結構、重要なテーマであります。おそらく、この問題には河童と龍が深く関わっています。卑弥呼が亡くなった時に築造された古墳が古墳の始まりとも言われてますので、【火/水/風】の弥生時代から【土】の古墳時代へと転換する第六天的思想(乱世の思想)が入ってきたと感じます。この部分については以前からネストリウスの思想を紹介しています。

ちなみに上写真は【滋賀県の青龍山頂上から琵琶湖方面を望む】です。神武天皇は、”東に青い山が四方を取り巻く美しい国がある”と言いました。そしてそこはニギハヤヒが治めている国であるということも。山であるので明らかに緑だとは思いますが、それを青の国と呼んでニギハヤヒの国としたのは、何か深い隠喩があるような気がします。おそらくこれ、翡翠でしょうね。また、追々レポート致します^^


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