星の御嶽と十一面観音

昨日は、wikipedia:笠置山 (京都府)に行っていました!

かなりのインスピレーションを頂きました!山中は見たこともないような巨岩の連続。私の巨石研究の折り返し地点となるような重要な参拝となりました。

柳生の一刀岩(玄松子さん)や茨城の太刀割石(グリーンふるさと振興機構)など、丸い巨岩が割れている現象に関して笠置山は、ある一定の解を与えてくれます。

東大寺のお水取りの起源はこの笠置寺の千手窟で実忠が十一面観音を感得したことのようです。第一回のお水取り東大寺)は、ここ笠置寺の正月堂で行われました。

虚空像菩薩の断崖仏がありましたが、虚空蔵から知恵を授かるお参りをwikipedia:十三詣りと呼びます。先日から書いています13の月とのシンクロもかなり起こっています。

胎内くぐりもあるのですが、このくぐりのエネルギーは完全にwikipedia:水天宮だと思いました。虚空蔵菩薩と水天宮のエネルギーの親和性は非常に高いのですが、ここの驚きは、千手窟がwikipedia:斎場御嶽と同じであり、それが元伊勢・籠神社の天真名井神社ともつながっていることです。何か驚異的な縄文人/弥生人の力を感じました。そしてこの御嶽の嶽はタケルのタケと関係があることも。。。

清浄な木津川の流れの中に浮かぶ巨岩山の笠置。

木が生えていない氷河期の石器時代。山頂の鏡岩に留まったサギが、コウ(皇/甲)としての地位を笠置山に与えたのではないかと感じました。すぐ下流には加茂地名がありますが、加茂が純粋にオリエント由来の種族ではなく、日本の石器時代縄文時代との親和性/接続性が非常に高いものであることもわかります。鳥居という観念/言葉そのものが、巨岩の上に降り立つコウノトリから来ているというイメージも受け取りました。天石門別神・櫛石窓神・天力男神は本来、ここに祀られているものでしょう。弥生時代はここから上流が天上界でここから下流が下界という風に設定されていたように感じました。長年の門神の研究から。。

Yさん、山頂の鏡岩で大はしゃぎ^^巡礼は初めて/あまりしたことがない、ような感じでしたが、一番楽しまれているようでした。

笠置駅から笠置寺までは上写真のように舗装された道もついていて、比較的楽にハイキングできるコースでした。笠置寺内に胎内くぐりや巨岩巡りコースがあるので、かなり整備されたパワースポット道でしたね♪

お水取りの第一回目が笠置寺で行われたことからも、水と葛城・弓と月、そして加茂と先住民族文化がここ笠置の地にて一部凝縮されています。率川神社/春日大社/東大寺巡礼

今回は7名で行ってましたが、皆それぞれのバックボーンがあり、魂の深い部分が共鳴し、同じ時間を共有していることに時代の流れといいますか、私たちの意識を超えた大きな流れを感じました。葛城/賀茂/秦、、、大きな流れの中に最大数の隠喩を運んできてくれる古代氏族の偉業に感嘆せずにはいられません。木津川の木津は傷であり気づきであります。過去の傷を癒すという意味において重要な土地です。YSくん曰く『愛媛県内子(うちこ)は英語に直すとインナーチャイルド』とのこと。かなりストライクゾーンでしたが(笑)たぶん木津川もそういうエネルギーを持っています。タコとかイカとかムカデ、クモ話にも花が咲きましたが、wikipedia:藤原秀郷がムカデ退治伝説を持っています。龍神一族が三上山の大ムカデに苦しめられているのは何か深い意味がありそうです。

今回は、私の中では河童と龍の回であり【河童の川流れ/弘法も筆の誤り】みたいなキーワードももらっていましたが、巡礼後のお楽しみ会でそんな流れにもなったのかな?とも思いました。虚空蔵の断崖仏も空海と深いつながりがあったようですし。

京都伏見のかっぱカントリーで打ち上げ。地ビール最高でした^^皆、それぞれで頑張ってきているから、頑張らないで気を抜いて楽しむことも必要かなと思います。河童-青龍-東-太陽-エデン-アアルとはそんなことを意味しているのかなと思いました。木津川の上流は青山高原。そこを越えると、もう伊勢湾です。遠く離れているように思える伊勢湾と大阪湾ですけれども水源を辿っていきますと、いかに私たちが根源を同じくしているのかを知ることができます。
青山という地名には何か大きな隠喩が含まれているでしょう。それと今回、桃山も通ったのですが、桃山は山科の岩屋トライアングルの下流域に当たり、岩戸から桃が流れてくるという隠喩も強烈に含まれています。桃太郎の世界です。

次回は箕面になるかもしれないです。

神功皇后新羅征伐に出発する際、川辺郡神前松原(現在尼崎市の神崎もしくは豊中)で戦勝祈願したとき、猪名川上流の能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神が来て、美奴売山の杉の木を切って船を作れば必ず勝利すると告げた。その通りにして勝利を納めた帰途、古代には南に突き出した岬となっていた当地の沖で船が動かなくなり、船上で占いをするとこれは美奴売山の神の意志であるとわかったので、そこに美奴売神を祀ったという。これはある程度史実を伝えている模様で、住吉大社神代記にも猪名川の女神と武庫川の女神が住吉大神の気を引くために、互いに競ったことが記されている。摂津国風土記逸文に、豊受大神丹波国遷座する前は、摂津国稲倉山(所在不明)に居たことが記されているが、この稲倉山は猪名川上流域豊能郡?)にあったのではないかとの説がある。wikipedia:敏馬神社

以前から書いているように美奴売神と猪名川の女神と武庫川の女神の件は非常に気になっています。それと住吉大社猪名川の女神の件は九頭龍つながりでもあります。

久々知妙見宮は清和源氏の祖、源満仲(または多田満仲 912年? - 997年?)が開基したと伝わる妙見宮である。

天徳元年(957年)源満仲が矢文を放ったところ、岩に当たった。その岩を矢文石と名付けて、その地に北辰星(妙見宮)を祀ったと伝わる。その後、天禄元年(970年)摂津の国守に任ぜられたとき、源満仲が新しい館をどこに築こうか思い悩み、同国一の宮住吉大社に参籠した。参籠して二十七日目、『北の空に向って矢を射よ。その矢の(落ちる)とどまる所を居城とすべし』との神託を受けて、満仲は鏑矢を放った。家来を引き連れた満仲は、空高く五月山を越え放たれた矢を追いながら鼓ヶ滝付近まで来た時、白髪の老人に出会い、矢の落ちた場所を知ることが出来た。この場所は「矢を問うたところ」として、『矢問(やとう)』という地名で残っている。

満仲が老人に教えられた場所に行ってみると、河水をたたえた湖(沼)があり、その湖の主の九つの頭をもった雌雄二頭の大蛇(九頭龍)の内の一頭の大蛇大龍の目に射た矢が刺さり、暴れまわっていた。一頭はこの地で死に血水跡はまるで紅の河のようになって流れた。もう一頭は死に物狂いに山を突き破り飛び出し、湖水は鼓を打つような音をたてて滝となって流れ出た。龍はしばらく鼓ヶ瀧の滝壷の中で生きていたが大水害の度に鶯の森、(川西市)天王宮と下流域に流されて行き、ついに昇天された。後に、その地には12以上も鳥居の立ち並ぶ白龍神社が建立され祀られることとなる。湖沼の水は干き、よく肥えた土地が残り、多くの田畑が出来ることとなった。そのため 後に「多田」という地名が付けられる。村人等は九頭龍の犠牲の御陰で田畑が拓かれた事を甚く感謝し、九頭龍大明神、九頭龍大権現、白龍大神と崇め御祀りした。満仲は、この地に居城を築き、多田源氏を名乗った。

少なくとも1988年までは、上記の九頭龍が死んだ場所として『九頭死(くずし)』という地名が残っていた。現在は「寿久井の地蔵尊」という地名の付近。wikipedia:九頭竜伝承

この調査がひと段落すれば、大阪のイメージを一変させることができると思います。昨日は箕面の猿の話が出ていましたが、”妙見”や”矢”は、北極星と深いつながりがあり、つまりは天の渦、アメノウズメともつながってくるわけです。そこに猿がいるというのは決して偶然ではないでしょう。猿田彦とウズメの結婚譚が北摂で展開されるとしたら【摂津の豊受大神】という巨大なテーマに関してもある一定の道筋が作れそうです。山の男神と森の女神の結婚譚は現在でも秩父では継承されています。武甲山には甲の字が含まれているので、これもやはり何か深く関係していると思います。皆さま次回もどうぞよろしくお願い致しますm_ _mそして、今回はどうもありがとうございました!


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