七夕と橘の目鮫

kohya_hibiki+spirituality2012-07-05



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朝方、タナバタ・タチバナというメッセージで目覚めました。

そういえば、七夕と橘は分解すると似ています。

七は賀茂氏、夕(旗)は秦氏ですが、橘氏の存在というのは、非常に謎です。

葛城氏と深い関係にあったことはわかっていますが、日本史の巨大な謎なのかもしれません。


昨日、書いたトライアンフ・トライアングルですが、やはり夫婦石(男性性女性性)と神石(中性)の問題とつながっていそうです。

毎年出て来る問題。

潮が引けば神石が見えてくるという現象は、何か先日の鮫の夢ともつながっています。

記事にできてなかったですが6月29日のメモより

昨日はシャークが出てきて眠れませんでしたが、シャークは裂く・柵・朔やミシャクジにつながっているのではないでしょうか。歯形の柵がありますが、これもシャークの歯を模すことによって魔よけの意味を為していたのでは。歯は葉にもつながりますから、歯形の葉も神道でも魔よけ(邪気祓い)の意味にも使われています。シャークはヤヒロワニでもあり、日本神話と深いつながりがあるでしょう。カガセオ神がカウラサメと呼ばれていたのも深い隠喩があるのだと感じます。それが現在進行しているある方のセッションの白龍とつながりました。


wikipedia:サメはシャークですが、これは日本の古語のサク(咲く・割く・柵)とつながっているのではないかと思います。

日本語サメが目覚めのサメとつながっていて、英語シャークが咲くとつながっているのは、かなり深(フカ)いです。


古代の日本では記紀因幡の白ウサギや出雲国風土記の安来郷の条にある説話における記述から、サメ(当時はワニと呼んでいた)の獰猛性について深い知識が伺われ、そういった背景のもと三河国から平城京へサメを送った木簡が出土しており、愛知県知多郡南知多町の北地古墳群や篠島貝塚などから勇敢にもサメ漁に用いられたと考えられる釣り針やサメの歯などが出土している。『ものと人間の文化史35 鮫』(矢野憲一著、法政大学出版局発行)によれば『延喜式』にサメを食材とした記述があり、斎宮寮に鮫の楚割 (さめのすわやり、干物と考えられている)が支給された記録があるという。この鮫の楚割が伊勢神宮の神饌として供えられる干鮫であり、後述する三重県のサメのタレと同じものという話があるが、市販されるサメのタレの大部分は20世紀に改良された加工法で作られているのでまったく同じものではない。『ものと人間の文化史35 鮫』によれば、伊勢土産としてのサメのタレは、1773年(安永2年)の『宮川夜話草』に記され、サメを神饌とする神社は伊勢神宮のほかに千葉県香取市香取神宮や愛知県津島市津島神社があるという。wikipedia:サメ




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