ヤタガラスでつながる古代大和とメソポタミア

今日、突然『ヤタガラスはJATA』のメッセージがありました。
昨日、下記記事を下書きしていたことを忘れていました。

////////昨日書いた記事//////////
以前から少し書いていますが、秦氏が八幡とつながる部分、そしてヤタガラスとつながる部分というのは、かなりブラックゾーンです。闇に包まれているということ、あるいは闇に隠そうとしたこと。

葛城氏と物部氏の関係は、昨日書けず閉まいでしたが、八面大王と安曇氏で記載しましたように、モノベソンのいざなぎ流神事の中に出てきます。実はこの付近の物部氏は剣山の西側一帯を支配しておりまして、もうひとつの強大な勢力、葛城氏と剣山中でタッグを組んでいた痕跡があります。

葛城氏が海人族であったというのは昨日書いたような気がしますが、物部氏にはあまりそのような性格はありません。そのような中で物部氏が葛城氏を山中まで案内するような勢力分布になっているのは、おそらく葛城氏は縄文から連なる古代氏族の要素も持っていたのではないかと考えています。(これは今日、初めて書くかもしれません)

つまり、葛城氏はギリシャの月桂樹を融合させた縄文の月信仰の民であるということです。しかしながら、かなりアルテミスの色彩も濃いので、融合というよりは半ば友好的に乗っ取られたという言い方のほうが良いのかもしれません。もうひとつの可能性は、完全に縄文主導によってギリシャが導入されたという可能性です。

日本人は、多文化を自国風に作り変えるのが上手です。弥生文化の基礎となる文化が大陸から大挙として流入してきた時も、剣山系では最も早く弥生の国風化が始まりましたから、もし、時を同じくして月信仰も国風化されていたとしたら、この2つめの可能性はかなりのレベルで現実味を帯びてきます。そもそも修験道の始まりは剣山と言われており、剣山という名前は古代にはなかったようですが、頂上に鶴石/亀石があり、月と桂・鶴と八面の信仰は恐ろしく古い時代から存在していることがわかります。

鶴/亀の神仙思想は中国由来ですが、それと物部氏が剣山系で深く結合している痕跡を見ますと、単に思想が流れてきたり、渡来人がやってきたというレベルではないです。もっと深い宗教意識の革命が、縄文人によってあったことは間違いないです。

話が葛城氏と物部氏の関係にそれましたが、秦氏につきましても八幡信仰と熊野信仰との接続が隠されています。その隠され方が上記の物部氏と葛城氏の本質的部分とかなり似ているんですね。
////////昨日書いた記事//////////

おそらく、ヤタの読みは、JATAであり、ファッタ・ヤッタ・シャッタなどに聞こえる巻き舌の発音だったいうことではないかと思います。これは以前、葛城のことでも書きましたが、カツラギはクァツラであり、wikipedia:ケツァルコアトルに似ていると何度もレポートした部分でもあります。

(JATA=ヤタ)が現代語で最もうまく表現されているのはラテン語のJaponica(ヤポニカ)です。ですから、JAPANというのは、偶然つけられた名前ではなく、ヤポンとかヤパンなどの呼称はものすごく古い時代に使われていたような感覚を持ちました。

それが黒い太陽ヤタガラスのヤポニカJAPANのミサキとしての力ではないかと感じます。

そのヤタガラスインスピレーションをミサキ(最も早い段階でやってくるインスピレーションを”ミサキ”と呼び始めています)としてもらい、その後、深い部分に入りまして、克明な白昼夢を見ました。岩と岩が折り重なったさざれ石の巨岩みたいな岩山にいまして、下には海岸が見えました。岩山の最も頂上にある巨岩が2つの方向から伸びて中央で合掌していました。もちろん合掌の下側は空洞なので、その空洞から下の海岸線が見えました。私は”見つけたこれだ、磐長姫だ!”と叫んでいました。ちょうど一箇所だけ地層が一直線に合掌地層になっている部分がありました。その時”ピンポーン”と家のチャイムが鳴りました。そのチャイムで正気に戻りました。届いたのは旧暦が克明に書かれたカレンダー。

そしてなぜか、携帯電話のアラームが16:00で鳴り始めました、兎の刻。そして今年は兎年。来年は辰(立つ)。何か来ます。今、一番可能性が高いと思ったのは磐長姫だったので富士山の噴火。その時に磐長姫が完全復活か!と感じました。しかし、富士山噴火であれば東海地震の可能性も否定できません。浜岡原発北側の桜ヶ池の瀬織津姫、これも何か関係しています。合掌していたのはサクヤ姫と磐長姫という感覚も残っています。

JATAつながりで、wikipedia:ジャコビニ流星群。今週末に来るそうです。ドラコニスに関することはイクドでもやっていました。占星術の起源はこのwikipedia:トゥバンの時代だとも言われています。このジャコビニ流星群は13年に一度に大出現するの流星群と言われています。前回書いた【13の月の謎】のキーワードでもあるでしょう。

10キロ離れた浜、6日後発見
「よく頑張って帰ってきたね」とききょうに声をかける久野さん 9月25、26日に奄美大島北部を襲った豪雨で、龍郷町の牛舎から流され行方がわからなくなっていた黒毛和牛の繁殖用母牛が、約10キロ離れた奄美市の砂浜で6日後に生きて見つかった。飼い主の同町大勝、久野ノリ代さん(54)は「牛は子どもみたいなもの。よく生きて帰ってきてくれた」と涙ながらに喜んでいた。見つかったのは5歳の「ききょう」。久野さんの牛舎は9月25日深夜、近くの川があふれて濁流が流れ込み、飼っていた54頭のうち37頭が流された。水は1・9メートル近くに達し、牛舎にいた久野さんは柵の上に登って難を逃れたが、目の前で次々に牛が流されたという。「ききょう」が見つかったのは1日午後4時頃。奄美市名瀬小湊の小湊漁港近くの小さな砂浜にいるのをJAあまみ住用支所の職員が見つけた。識別番号から久野さんの牛とわかり、翌2日、JA職員ら5人がかりで近くの集落の海岸まで約1キロ海の中を歩かせて救助。久野さんの牛舎に無事帰り着いた。流された久野さんの牛の多くは9月27日までに町内で見つかったが、3頭は死んでおり、今も子牛10頭が行方不明のままだという。久野さんは「川から海に流され、泳いで砂浜にたどり着いたのだろう。大きなけがもなく、本当に運の強い牛。見つけて救助してくれた方たちに感謝したい」と話していた。

読売新聞から引用

これも非常に気になりました。ききょうが見つかったのがやはり16時。しかも5歳。5は竜をあらわす。それが泳いで生還するという不思議。まさに牛頭天王の生還か?牛と龍の文明はメソポタミアです。そして先ほどの占星術の話もメソポタミアを起源としています。全く関係ないようだけれども、密接な関係がある牛のニュースとジャコビニ流星群。さらには古代大和の磐長姫とサクヤ姫神話へとつながる。そして瀬織津姫

古代大和よ!国常立よ!




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