月と鶴_桂と八面〜美しき海人族の信仰〜

昨日書いたことが、”戸”の裏タイムラインにつながり、その流れをつかむために1日かかってしまいました。

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昨日、ツイートもしましたが、かむなきの月に突入することによって何かが生まれている感覚、そして9月30日の晦日から10月1日にかけての”戸”のタイムラインに入っていくという当ブログでも言及したことが、宗像大社の”みあれ祭”につながっていました。

みあれとは、御生れでありますので、今日何かがお生まれになっているわけでございます。今、宗像大社の御生れの対象を調査する時間がないので、ざっと書かせて頂きますと、室生龍穴や丹生川上、そして姫路近辺に広がる穴信仰をベースに考えますと、産まれる時に風が吹く(息吹)とか、穴を持っている女神とか、おおまかに言ってそういう古代信仰がありました。


それら全てを精算する時期に来ていると私は感じます。それがアセンションであり、次元上昇であるとお伝えしてきております。つまり、私たち日本人が根源的に祝い慈しんできたものとは何であったか、ということです。より純粋なもの、より生活に根ざしたもの、より実践的なもの。それが神道における美のイデアであると私は思います。

神が生まれることを純粋に信じ、神事を行う祭りがあることにありがたさを感じます。このような組織的な自然崇拝は世界のどこにも残っていないと思います。世界各地に存在する自然崇拝は、国家という構造の中には組み込まれていません。常に国家という近代的枠組みの外側に位置し、近代的知性とは相容れない形で存在しています。しかし、日本の場合は、その自然崇拝が時代時代によって新しい時代精神に転嫁され、常に”御生れ”が起こって来たわけでございます。その不思議さと先祖の功績にいつも感嘆します。

そのことに感謝しつつ、常識と偏見にとらわれない神道の精神で今後も奇抜なことをやって参りたいと思っています。
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かなり消しました。日本の古代話には、言ってはいけないこと、書いてはいけない部分が存在します。昔話に関する本質的部分です。しかし、そこを明かすというよりは、戸のタイムラインの中に完全に【死と再生】というテーマが浮き上がってきていて、今月が<かんなぎ>を含めたカンの再生につながっていることは確実に見えてきました。

そして岩屋トライアングルから続く岩戸開きが、笑いによって起こることも。実際の日本神話でもアマテラス大神が出てくるきっかけになったのは八百万の神々の笑い声です。

現実が、その流れを辿っていることを考えると、日本神話とは、地球上に延々と続く人間社会の結びと開きのエネルギー物理学ではないかと感じます。

非常に深い精神性と哲学性を感じます。今月は、とつきとうか・とうとう・かむなきの復活というテーマの他に、13の月というキーワードがあることに気づきました。

なぜか13のサイクル。以前にも書きましたが、13サイクルはマヤだけでなく、ベガが北極星に返り咲いていくサイクルにも適用される不思議なサイクルです。現在がちょうどその中間点にあります。そして皇紀2600年。または律令国家完成後1300年。あらゆることがこの13のサイクルに成り立っています。それは13という月のサイクルをも意味します。

これらの月と13に関する裏取りは完璧ではないですが、今のところ、wikipedia:十三詣りへとつながっていく何かであるということだけはわかります。つまり、古代の月星信仰の何かが今月の戸のタイムラインと密接に関わっているのです。

それが一昨日、書こうとしていた葛城氏のことにつながっているのでしょうか。。今、つながりました。

wikipedia:大町桂月の名は、月の名所の桂浜から来ています。桂浜は、最近まで勝浦浜と呼ばれていたようです。勝浦と言えば、後は和歌山と千葉。それとの関連では意外なところで山梨

この部分は八面大王と安曇氏につながっています。安曇氏はあまつみ/わたつみなので、海軍の祖と言われている大山祇神社と深いつながりがあるのは明白です。この中に私は、【8】と【3】の隠喩を見ます。これは具体的には八ヶ岳鳳凰三山のセット。そして八幡信仰と三島信仰のセット。もっとシンボリックに言うならば、【旗】と【3女神】。

上写真は鳳凰三山オベリスク。高速道路からも確認することができる巨大なものです。

wikipedia:葛城襲津彦wikipedia:弓月君は重要な人物です。1昨日はかなりインスピレーションがきていましたが、その時に書かないと忘れてしまいました^^;また閃いたら書きます。
葛木男神社 / 葛木竎神社は土佐高賀茂大社のすぐ南側に位置していますが、賀茂の統治範囲より大きな地域を治めていました。内湾外部の外海を全て葛城がそして内湾の最奥の東を賀茂、西を秦が治めていました。これは京都でも同じなので、何かこの配置に本質的何かがあるのだと思います。しかし、京都では、葛城の領域がはっきりしないので、今度調査に赴きたいと思っています。

おそらくは、愛宕の元宮と目されるwikipedia:月輪寺がその根源的なものだと思われますが、ここに秦澄と役小角が関わっているのが非常に面白い。修験道やそれに関係する大日如来はここと密接に関係している。つまり、葛城の月信仰。これが豊受大神の伊勢外宮のルーツでもあります。

家から最も近い役小角さまです。素晴らしい偉業を成し遂げた聖地巡礼の偉人です。朝廷にもレジストした庶民の味方。秦澄さんは、wikipedia:元正天皇と深い関係にあり、この頃が最も水信仰が頂点に達していたのではないでしょうか。とても好きな時代です。神社の手水に刻印されている菊水の文字はこの頃から始まったものでしょう。一度は失われた瀬織津姫信仰が蘇っていた時期だと思います。

上写真は菊水泉近くの元正天皇碑です。20、30年ほど前までは栄えたような商店街がありましたが、今では寂れてとてもさびしい感じがしました。こういう場所が大切にされ始めると日本は再生していくのかなと思いました。大切なものは常に足元に転がっています。


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