9と10の間に顕れた新月のミサキ
さっきヤタガラスに参拝してきたので、wikipedia:阿武隈高地の悲しみが流れ込んできます。熊野の台風被害とも密接に関わっています。
大地も人間も泣いている。行き場のない悲しみが9と10の中間層に浮かぶ。9月9日にククリ祭に行きましたが、ククリの結びも明日で大詰め。
wikipedia:グラウンド・ゼロの全ての悲しみ(広島/長崎/ニューヨーク/FUKUSHIMA,,,etc)が、明日/明後日から始まる【戸】のタイムラインに向けて大河となっていく。
嫌なタイミングというべきか絶妙なタイミングというべきか、サスラヒ(wikipedia:スセリビメ)も全開で出てきている。
彼女がスサノオの女性性であるということは、毎回嫌というほど認識させられる。悲しみの伝播は、ひとつの真理ですが、一方でそれぞれの真実を曇らせる。
黒い太陽を支えるヤタガラスの三本足は、まさに裏の三位一体。
悲しみ/恨み/憎しみの三位一体に支えられた黒い太陽は、私たちの頭上に燦然と輝く。目を背けるなというが如く。
一方で白き女神たちの白い太陽は、エルフが如く顕れ、暗闇を抑えていく。
新月の黒きスーパームーンは、wikipedia:ミサキとしてのヤタガラスの力を増大させました。ミサキの後には必ずエンティティ(実体)がやってきます。福島県いわき地方では、1月11日に田に初鍬を入れて「カミサキ、カミサキ」と言って鳥を呼び込むとのこと。十一面観音のミサキ性もこれでなんとか証明されている。<磐長姫=十一面観音>の符号は大山祇神社に隠されている。死と再生の【十一】そして【土】。初鍬はアジスキと関係がある。アジスキの北限は福島。
wikipedia:サギは知らせの前兆。コウノトリ、鶴とも。コウは下にも示すように大王の隠喩。下鴨神社はコウヤマ(神山)を祀る。甲山の古代名はコウヤマ。内宮はコウタイ神宮。初めの一歩は、猿田彦の大神さま。スキ(鍬)があると初めの一発を食らわされる。大和言葉には深い哲学性と法則がある。高知には<コウがイタ山の伝承>がある巨大な三角磐座のコウイタ山がある。コウイタがコウタイ(交替)させられたのはなぜか?それはミサキの問題と密接に関わっている。
山添村の石球と鍋倉渓もコウノサン(神野山)
全てに共通しているのが、北極星信仰と天の川信仰。岩屋トライアングルは瀬戸内海が天の川になっています。
全ての国民が並列に共存し、土地土地によって呼び名や祀り方が異なっていますが同じように自然神を祀っていた心優しき縄文の民の連帯を崩したものとは何か?
111が神格化された【川】。川は河。河はコウ。コウは甲であり、皇であり、高でもある。111歳は皇寿。ミサキは我々縄文の自然神の大王。王もまた111に分解される。
「皇」の字を分解すると「白 (=99)、一、十、一」と分解できるため
我々、日本人の力もひとつになっていく。1010(とうとう)というべきか、それとも十月十日(とつきとおか)というべきか。
出でよ、縄文!そして、大王制を近代化させたフェニキア/ギリシャ/エジプトの女神信仰の技術者たちよ!
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