過去・現在・未来をオサエル3女神の力

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明けましておめでとうございます。マヤ新年。

”トキの3女神”のメッセージ濃いので一言。

ギリシャ神話と北欧神話にも”トキの3女神”が存在します。”も”と書いたのは、もちろん日本においては宗像3女神がそれに相当するからです。

ギリシャ神話の”トキの3女神”は最高神ゼウスの命令に従います。北欧神話の”トキの3女神”は、最高神オーディーンを従えます。つまり、北欧神話においては最高神よりも”トキ”が優っていて、ギリシャ神話においては最高神よりも”トキ”は劣っているのです。

この原理を日本に照らし合わせてみますと、日本には学名:Nipponia nippon という鳥wikipedia:トキが存在します。古代名は”ツキ”です。時を告げるのは鳥であり、月は時を紡ぎます。

月読命のツキがこの”トキテーゼ”と密接に関わっていることは言うまでもないことです。

そして、厳島神社に代表されるように、3女神の”いちきしまひめ”の語源ともなった「いつく・いちき・斎」もまた、このプリンシパルと切り離せません。

斎を”いつく”とも”サイ”とも呼ぶのはなぜでしょうか。つまり、これはwikipedia:斎宮が佐伯氏と関わっていたことを示すメタファーではないでしょうか。

常陸国風土記』茨城郡条にある「山の佐伯、野の佐伯」。野の佐伯とは、斎宮の仮宮wikipedia:野宮と何か関係があるのではないか。wikipedia:野宮神社は、かなり古いと思われ、このイゴモリ系の習慣は西日本には残っていて、小森神社とか小守神社、そして子守につながっています。つまり、これは、鳥が湿地帯で小枝で巣を作る形態と同じなんですね。勘の良い人はわかったかもしれませんが、これ、古墳時代の失われた鳥文明です。サクヤヒメのカヤ文明とも呼びます。これに火を放った人は誰なんでしょうか。


ちなみ、白鳥伝承・ヤマトタケル・水鳥埴輪、、、これらはすべてつながっています。


つまり結果、古代日本にとっての”トキ”は、北欧神話と同様、最高神をも従えていると言っても過言ではないと思います。

『記・紀』における最高神はアマテラスですが、それ以前は大国主です。大国主が三つの渦の神紋を持っており、水の女神をも表しているということは以前、詳しく書きました。関西の3つの川が合流する石清水八幡宮御前と時の女神wikipedia:比売神を擁する八幡宮総本社である宇佐神宮。”トキ”が最高神である天皇を従えてはいけないということで”星(北極星信仰)封じ”とともに律令国家建設時に徹底的に消された信仰になります。


wikipedia:トマス・ホッブズwikipedia:リヴァイアサン (ホッブズ)wikipedia:ベヒーモス (ホッブズ)においては、徹底的にwikipedia:コモンウェルスについて議論されたが、古代大和当時のコモンウェルス(共通善)は、”いかにして国家をひとつにまとめあげるか”でしたから、最高神を操る神が他に存在しては困るのです。

ホッブスにしてもwikipedia:ニッコロ・マキャヴェッリにしても、戦争から国家の再定義を行っている。古代大和においても白村江の戦いは、”国家の再定義”をどうしても行わなければいけない時代でした。その時代にホッブスにような日本人がいたのですが、その人が誰なのか未だにわかりません。数年前から調査していますが。。

白村江以前は、八十島祭や国家的七夕祭で”トキ”・”鳥”・”星”の国家祭祀をしていたわけですが、その古代大和をわずか数十年で”仏教”・”律令”・”太陽”の国家祭祀構造に変えてしまった思想的巨人です。その代表として聖徳太子がいるのですが、彼は各地の伝承を神話化させて合金した仁徳天皇ヤマトタケルのような存在。そのエンティティ(実体)となった人物は、もっと別の場所に存在します。

もちろんそれは、渡来人ではなく、朝廷にとって都合の悪かった土蜘蛛と呼ばれる人たちの出身でしょう。朝鮮半島から渡ってきた人たちが、古代ギリシャローマほどの哲学的思考を持つ古代大和の人たちを思想的に征服できるはずがありません。武力でも制圧できないでしょうから、何世紀にも渡って私たちまつろわぬ民は抵抗を繰り返したのです。


それに関連して、例えば、宇治天皇は、正式には即位してとされていない幻の天皇ですが、このような縄文系の古代大和皇族は、彼が最初に漢字を書いたとされているように、非常に高い徳と見識を兼ね備えていました。


現在もまた、白村江の再来かと思われる時代ですので、われわれは、国家の再定義を行わなければなりません。これまで採用してきた中央集権国家は終焉させるのがひとつの明らかな道筋です。

東京は既に人々の夢ではなくなっていますし、首都圏直下地震や富士山噴火、南海トラフ三連動地震のリスクを認識している前衛的な人々が、社会資本を1極集中させることに疑問を抱かざるを得ない状況が生まれています。


政府は、少し前まで無神経な地方の消滅都市予測を発表し、大都市圏の再生を掲げていましたが、最近では地方小都市再生が日本再生であるというような国家像に転換してきています。そもそも、”国家と戦争と都市”というのは、国家が始まった都市国家ポリスにおいて、すでに定義されていた密接不可分なディスクールであり、われわれは今、そのディスクールから一歩抜け出し、世界に先駆けて新たな国家形態を”世界に対して”提示しなければならないのです。つまり、それはこれまでの国家でもなく、EUのような統合国家でもなく、全く新しい国家形態です。それが、国家の枠を超えた文化的連邦制になります。現在、安倍首相がそれを狙ってか、そうではないかわからないですが、EPAの量産をしています。そのEPAの枠を利用しながら、個人が異なるセグメントで独自にEPA締結をしていかなければいけないのです。


イタリアのwikipedia:サンマリノなどは、非常に高い民主主義を今でも踏襲していますが、そういう独自の政治形態を持つ自治体との政治・経済結合を個人が社会起業を兼ねて行っていかなければいけないのです。トランジスタセールスマンの時代は終わったのです。

経団連や経済大国、あるいは、技術立国という戦後価値やアンシャンレジームで国を建てていく時代は終わったということです。技術は保持しながら、語学力と哲学的思考を駆使し、政治統合・経済統合の交渉をこれから日本人は個人で行っていかなければならないのです。ですから、政治・経済・経営・哲学・コミュ力というのは当然、必須です。


政府ができることは限られていますので、あとは私たち一般国民がどこまで自覚をもって自国を発展させていく覚悟をもつかどうかです。ただ、昔のように蟻のように働けばいいのではなく、どういう方向で働くかというのが重要です。


道州制の制度設計も現在、事実上、破綻しており(なぜならば現行の制度では道州制に移行できないようになっている)、また、当の当事者の地方首長たちが税源移譲の問題を巡って道州制に反対し、国家分裂を怖れるチキンネット右翼とも合流し、道州制に反対していますから、まだまだこの国は無思想の人間の塊に過ぎないということだと思います。時代のテーマは既に”国家形態の変更”になってきているにも関わらず、その潮目を読むことができない人間が多いのは非常に悲しい限りです。ネット選挙による直接民主制や通貨統合による国家統合やEPAの多層化は、すでに”新しい国家”を暗示しているにも関わらずにです。我が国はもう少し教育の質をあげなければならないでしょう。

天変地異が千年紀の活動期に入っているというのは誰が見ても明らかであるにも関わらず、なぜ”国家形態”が変更されなければならないという歴史を見れば明らかな暗示を歴史そのものから読み取ることができないのでしょうか。


その時代的要請に応じて、現在EPAが多層化段階に入りましたから、戦略特区からさらに地域セグメント化を進めた制度設計と地方自治法改正なしの文化的道州制を推進して20代・30代による州自治セグメントを作らなければならないと思います。(冠位十二階的に)


大阪都構想が無益な既得権益者の抵抗によって何物にもなっていないように、地盤を強制転換させていく自治構想は無益です。それよりも地盤を全く必要としない自治構造を新たに作っていけば良いのです。つまり、自警団を作れば全く新しい街づくりが行えますが、警察を改革しようと思ったら無理でしょう。そういう話です。


話を冒頭に戻しますと、7月27日は新月空海の誕生日(形式上)。空海は讃岐の佐伯出身ですが、厳島神主家も佐伯出身です。wikipedia:佐伯部は前述した縄文系皇族の一系統で、当時、蝦夷・毛人とか呼ばれていました。無礼で騒いでいた、という記述はおそらくは全くの逆で、非常に呪術的で大和王権に取り込まなければ、各地の豪族をだまらせることができなかったのだと思います。

wikipedia:猪名県と佐伯氏は密接な関係があったと推測され、大神神社の元宮ともされる摂社の狭井神社も、この佐伯のサエキ・サイキ・サイであった可能性すらあります。サイキックもここから来ている可能性があります。PSY(サイ)はギリシャ語で「いのち」「魂」「心」を意味します。ギリシャ語ではサイとは発音しなかったようですが、まだまだ調査が必要ですね。サイキは”息”にもかかりますが、psyやプシュケーは”息”を意味します。キリスト教の三位一体のひとつである聖霊は、もともとこの”息”が出元です。

これは以前書いた私の【佐伯真魚=イクトゥス説】を補完するものでもあります。つまり、佐伯のサイはPSYであり、古代ギリシャ系のインテリジェンスを持っていたのだから佐伯の子孫である空海が魚名が冠せられていたことは決して偶然ではない。そして唐に渡った時に空海景教に触れなかったはずがない、ということです。むしろそもそも、エフェソス公会議で異端審判をされて当時の唐に逗留していたネストリウス派は、佐伯氏が地中海から仕入れた古代ギリシャ系統の多神教キリスト教と似ていたから、空海はそれを仕入れに唐に渡った可能性すらあるということです。

これに関連して、鹿島・香取・息栖の東国3社は、この三位一体であるということも以前、書きました。


また、道祖神をサエの神、サイの神と呼びますが、そのサイも佐伯氏と関わりがある可能性もあります。

そのサキと、佐韋や山由理草とが意味的にどう関わるかを述べる前に、サキ・サイ・サヰの「音」にふれておく必要がある。まず、サキからサイへの音便化についてだが、たとえば、サキクサ(三枝)がサイグサになるように、平安時代以降の日本語では、単語の途中にくる「キ」が音便化して「イ」になるのは一般的な現象である。しかし、それが古代においてもありえたか否かという点がまず問題になる。たしかに、残された奈良時代の文献においてイ音便が用いられていたと確認できる事例はほとんどない。その中で、『時代別国語大辞典・上代篇』(三省堂)に立項されている語「さいぎる(遮)」が注目される。「遮る」をサヘギルと訓む確かな例は時代が下らないと出てこず、サイギルが「障へ=切る」だとすればアクセントに問題もあるから、サイギルはサキギル(先=切る)を語源とするのではないかという『時代別』の解説が認められるならば、語中のキがイに音便化する例は、かなり古くから存在したということになる。(<佐韋>考−山由理草之本名をめぐって)

素晴らしい考察サイトがありましたので。

率川神社については以前、ユリ祭りに行っておりましたが、ユリは聖母マリアのメタファーであり、受胎告知のメタファーでもあります。このことからも以前から述べているように、大和朝廷に討伐された土蜘蛛と呼ばれる人たちは、未開の人たちなどではなく、非常に高い文明を持った(特に地中海付近の文化を色濃く持っていた)人たちであったということは何度も書いてきました。つまり、古代大和は律令国家で近代化したのではなく、邪馬台国時代に非常に先進的な連合国家であったが、律令国家政策によって非常に息苦しい戦時国家に転落したということです。

これは我が国が、大正デモクラシーの自由で闊達な文明国から戦争一色の軍事国家に転落していったことに似ています。そのような戦時国家は常に自分たちの時代が最も近代的であると言いますが、実際はそうでない場合も多々あります。


伊勢付近には立石とユリを家先に飾っている家もたくさんあり、これはサエの神とサイクサのセット、つまり猿田彦とうずめのセットと呼べるでしょう。サエの神は村の周りに張り巡らし、悪いものが集落内に入ってくるのを防いだ”抑え”のサエでもあったので、佐伯のサエは抑えるのサエでもあったのかもしれません。




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