鞍馬ヴィーナストランジット③ 〜 砂と枕 〜

kohya_hibiki+spirituality2012-06-09



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寛仁親王殿下が6月6日に66歳の若さでご逝去されました。開かれた皇室を目指されていたようで、とても親しみやすいご皇族の方であったと思います。心からお悔やみ申し上げます。

ちょうど貴船神社に伺っておりましたので、親王殿下の御舟入りの儀、イメージしやすかったです。この国を照らす神柱として今後は遠くから見守ってくださることと思います。


私たちは私たちの手でしっかりとこの神庭を建てていかなければと思います。



さて、鞍馬ヴィーナストランジットワークですが、鞍馬での出来事はまた後ほど書かせて頂くとしまして


食後のデザートは貴船倶楽部さんで抹茶パフェを頂きました。



枕流亭さんというところもありました。


クラマ、マクラ、クマラ、マクラ、、、、サナトクマラ、枕草子、枕詞、、がぐるぐるしました。


砂と枕(サナトクマラ)をスクナヒコナ大国主に想定していましたが、やはりその線が濃いように感じました。


貴船神社奥宮入り口、門神の位置に林田社・私市社としておふたりが仲良く祀られていました。

奥宮が非常にオリエントムード満載でしたので、この渡来系大国主さんの雰囲気、とても魅力的でした。生石神社ではおふたりは縄文的な神性を感じますが、貴船奥ではオリエンタルな衣装をまとっておりました。

このあたりがとても面白いのですが、賀茂氏秦氏が西から徐々に縄文の宗教意識を飲み込みながら東進していく様子は、台風をイメージさせます。台風の目もアメノマヒトツと言えますが、台風一過は空気中の埃もなくなり、6・6のように真っ青な空となります。

古墳時代、古墳の被葬者に対して、埴製(例、燈籠山古墳)・石製・琥珀製(例、竜田御坊山古墳)など多様な材質の枕を用いた。これらは権力者の文化であり、死者に用いる枕文化である。これらの枕文化は当時の加工技術を知る上でも重要な考古学資料となっている。wikipedia:枕

枕は古代エジプトの墳墓からも出土していて、上記のように日本でも権力者のシンボルでもあったらしいので、やはりサナトクマラとの関連はどこかにあるだろうと思われます。


最後にMさんが、マクラと馬具のwikipedia:鞍との関連を指摘くれたので、納得しました。結局は、水と馬と鞍馬、HGさんは鞍馬にも鉄が隠れていると言ってましたが、やはりどこかにあるのでしょう。南宮大社からの大きな流れがありました。

多度大社と同じ”うまくいく守り”がありました。多度大社には一言主社があり、最近までかなり重要な地位を占めていたようですが、徐々に縮小していったようです。貴船神社には一言主がいませんでしたが、どこかにひっそりと祀られているのだと思います。



牛鬼として木花咲耶姫が祀られているのは意外でした。愛媛ムード満点です。水辺で人を食べるような性格ですから、元々は水を守る精霊のような位置づけであったと思います。


再生可能な文明へ一歩ずつ





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