名にし負ふ 位授かる 神の山 一位とて 驕り高ぶるものはなし

ご無沙汰しています。

春分の日wikipedia:生石神社に参拝。写真は竜山。無残にも大分、切り取られています。石切り場とはいえ、資本主義下での大規模な石切は、あまり良い気分がしません。大王級の石棺や神聖な石切のために使って欲しい聖地でした。”宗教は石切り場から始まる”、20代の頃に興味深く読んだ論文です。

大和・矢的・山門、どこまでも日の丸。ユーラシアのあらゆる民族と宗教を飲み込んだ女神信仰な母系社会を今一度。
本来はこの休憩所が拝殿だったようですから、現在の拝殿や巨石付近、もちろん頂上付近は禁足地であったと思います。

頂上に登りますと正面にwikipedia:高御位山が見えますので、生石神社のある宝殿山が高御位山の拝所だったことがわかります。もちろん弥生時代は、巫女しか昇殿を許されなかった場所になります。

ということで高御位山も少し散策。麓の市ノ池公園からスタート。調べてみないとわかりませんが、市ノ池の”市”はイチキシマヒメの市でしょう。大国主スクナヒコナが降り立った高御位山の麓にイチキシマヒメがいるということはとても深い示唆があります。つまり、その池で禊をするということです。

その公園内で生アコギでビートルズを歌っている人がいましたが、音程がめちゃくちゃ外れていました。音を外す・市を外す、、これもとても深い意味がありますよね。

神武天皇が位を授かったのがwikipedia:位山ですが、そこにはwikipedia:イチイの原生林があります。正一位従一位・一等・一番、位の根源が高御位山に隠されています。オウシコのオウがwikipedia:意宇郡のオウと深いつながりがあることも言うに及ばず、国引き神話の根源もまたここに存在するといっても良いのではないかと思います。