「伊佐西古」「諸絞」「八十島」「乙代」

征東大使の藤原小黒麻呂は、781年(天応元年)5月24日の奏状で、一をもって千にあたる賊中の首として「伊佐西古」「諸絞」「八十島」「乙代」を挙げている。しかしここにアテルイの名はない。wikipedia:アテルイ

「伊佐西古」「諸絞」「八十島」「乙代」とは誰でしょうか?


「伊佐西古」は、イササコと読むと思いますが、wikipedia:伊佐爾波神社と何か関係しているのではないでしょうか。

「諸絞」は、応神天皇のお紙目伝承に関わる土地の人ではないかと思います。

「八十島」は、明らかに八十島祭に関連した方だと思います。おそらく大阪ですね。

「乙代」は、長野県の松代ではないかと思います。


徹底的に先住民族系の文化を封じ込めたのがわかります。

藤原を仮冒したものもたくさんいましたから、藤原氏がどうであったかという全体をひとくくりにする議論は、千年後の日本人が2011年当時の日本人は皆、原発事故を起こす程、愚かだったと断定することほど馬鹿げています。

私も含めて東日本大人災が起こる前から、原発の危険性を予測して反対運動をしていた人はたくさんいます。そういう人たちをお金の力で封じ込め、賄賂・買収で組織票を使った選挙を民主主義と呼ばせていました。今ならば皆さん、その意味がわかるのではないかと思います。

歴史学原発の問題は同じです。権力が集中すれば必ず嘘が生じます。その嘘を減じるために古来より日本では禊や祓いが行われました。

全然関係ないですがwikipedia:聖母宮はとてもいいです。論理的に考える思考、全てを赦し包み込む愛、その男神と女神の両方が必要です。そのバランスこそ大和であり、輪であり、父母子三位一体の『三』であります。

今見ましたらwikipedia:ヤマトタケルの項が充実してきていてすごいことになっています。やまとをぐなの字も・・

父母子三位一体は、日本書紀からの推測では下記のようになりますが

父・・仲哀天皇
母・・神功皇后
子・・応神天皇

おおっざぱに言えば

父・・ヤマトタケル(竹、武、嶽)
母・・タラの女神、マグダラ、クタラ、ヤマトタラシ姫、タレ姫(桃)
子・・ヤマトヲグナ

になります。

昨日書きました生石神社は高砂市にありましてヤマトタケルが生まれた加古川のすぐ近くです。あまり知られていないですけど加古川はすごいところです。芦屋道満の出身地でもありますし、ヤマトタケルのお母さん・播磨稲日大郎姫の出身地です。古代播磨は強烈です。wikipedia:金屋子神はまず播磨に天降った後で出雲に行っています。