『工』と『紅』 〜 日嗣の皇子 〜
『工』と『紅』は、おそらく深いつながりがあって、『土』の角を取ることが『工』につながっていくというのは、秦氏が土木の神さまだったことと関係があるでしょう。
八十平瓮は私の中でも重要な要素ですが、関西ではwikipedia:かわらけ投げが未だ残っているので、『土』と『的』の本質についてなんとなく認知できる環境があると思います。
秦氏とも縁が深い松尾大社奥宮道中にも、かわらけ投げがあって、的そのものの信仰もありますから、秦氏の”土木工事”という国家近代化はそれまでの物部の『土』を支配するものではなかったと解釈することができます。
朱が辰砂であることから、『土』と『砂』の認識も元々は一体化していて、自然をコントロールするのかそれとも自然に畏敬の念を示し続けるのかで土木工事種族の中で葛藤と争いがあったものと思われます。
『酒』は結果的に『水』を崇拝した飲み物でありますから、『工』を扱うものがダークサイドに堕ちないための<聖なる柩>ではなかったかと思います。
現代に変換して言えば、完全にダークサイドに堕ちた原子力技術ですが、それを食い止める<聖なる柩>も、それを実現した社会も私たち日本人は過去に持っているのです。そのダークサイドに堕ちたか堕ちていないかを判断するクナト(猿田彦)ですが、これもまた土木工事という古代国家の近代化と”西”というキーワードでつながっています。
この角獲りの作業がまさに<鹿島⇒香取>であり、先日ちょうど『岩』・『土』・『砂』・『鹿島』・『香取』に行っておりました。そこでは『岩』を大国主として、そして『砂』を少彦名として祀っていました。これほど本質をえぐった祀り方はないようにも感じました。
今、なぜ大国主の力を取り戻さなければならないかが示されています。
古代、私たち先祖が行ったように自然に敬意を表しながらの近代化を今一度再考し実行していかけなければならないのです。自然を破壊する土木工事ではなく、自然を活かす土木工事、です。
江戸時代まではそれは当たり前のように行われており、用水路などは今でも使用されています。それは生き物が死に絶える3面張りのコンクリート河川ではなく、より多くの生物が食物連鎖を形成できるビオトープ的治水・利水技術です。
古代において龍が示すものは、治水・利水の力を秘めた大王でした。川が王であり、王が川でした。そのような国津龍の文明をもう一度見直さないといけないのです。
その代表的な大王が継体天皇です。
『工』が『糸』でつながる時、それは『紅(皇)』となるのです。
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