ドイツとの脱構築的再構築 〜俺たちの自然/生命エネルギー・プライマル〜

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四国・瀬戸内は基本的に非核化。その上で国の安全保障をどのように実現していくのか。

私は右でも左でもなく、ど真ん中の人間ですので、このような議論を行う予定です。基本、どこでもやっていますが、高知のほうでもそのような議論が誰でもふらっと来てできるように下地を作っています。中心市街地活性化策としても有効です。

誰がやっているとかどんなイベントがあるのか、そういうのはあまりありません。大切なことは継続的かつ広範囲な議論が行われる土壌が育つことです。



『私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る』
                                      wikipedia:ヴォルテール



私たちは今、たくさんの問題を同時に突き付けられています。断片的にそれらを考えると、ほんとにもういや!と思うほどカオスなテーマだらけです。

しかしながら、この状況を哲学的に理解するならば、断片的なピースはあるひとつの大きなパズルを完成させるために私たちの前に落ちているのではないかという逆説的な結論に至ります。このような哲学的・神学的テーマも高知のほうでぼちぼち始めています。

それともうひとつ、西洋でアダムスミスが経済学を上梓した時、地球の反対側の日本では、土佐・近江・京都などで仏教から還俗した元仏教者などが陽明学と呼応し、日本経済学を生み出しました。これがバブル崩壊の1990年まで続きました。この説明によって、1990年以降の日本がどれだけ日本史にとって異質な期間かわかるでしょう。アダムスミスは、もちろんキリスト神学者です。

このことから導き出される答えは、地球規模の知性転換は欧州と日本で同時に起こってきましたが、今回はWebという媒介者によって、変革が同時多発的に起こるということを意味します。つまり、そういう方向で用意をしておかなければならないということです。新しい世界を志向するものと古い世界にしがみつこうとするもの、この2つがカトリックプロテスタントに分かれて世界を2分する戦いが始まると以前も書きました。それが真の意味での『争いのテーゼ』になります。既に国と国の問題は、深いテーゼになり得ていないのです。しかしながら当面は、その混乱に乗じて国家に由来する武力が使用される可能性が高いというだけのことです。


wikipedia:中江兆民第三共和政のフランスに渡り、近代的自由を日本に持ち帰りましたが、その時、すでに”フランスの自由”は、植民地主義的性格を帯びていました。それが結局、アジアへの支配欲求へとつながりました。


中江兆民は龍馬と会っていますが、龍馬がフランスに渡り、西洋の自由主義に影響を与えていたら、ひょっとすると大東亜戦争という東洋と西洋の対決は未然に防ぐことができたかもしれないのです。つまり、常に時代を切り開いていく哲学というのは西洋哲学か極東哲学からしか生まれておらず、それらがいつどのような形で邂逅するのかが、世界の未来にとって非常に重要なのです。


それが前々回、レポートした西洋の変化です。そしてそれよりも少し早く日本にはナショナリズムが訪れました。これが新しい時代を切り開くトリガーになります。世界の人たちとやり取りをしていますが、今のところドイツが早いと感じます。ドイツの若い男子は、日本のナショナリズムサブカルチャーが融合したスタイルをcoolだと明確に理解しています。つまり、ヒトラーハイデガーは仲が良かったですが、問題はその先の話です。日本人もドイツ人もバカではないですから、同じことは繰り返しません。欧州と日本が補完的な関係にあるということに哲学的に気づく集団がドイツに出てくれば、欧州の中心がドイツになっていくのは間違いがない。


ちなみに”脱構築”は、ハイデガーの哲学エッセンスの一部をデリダが広げたものです。


ですから、その先の議論をおそらく一緒にやっていくことになるでしょう。そこからムーブメントが生まれてきます。wikipedia:ルネサンスは、ギリシャ・ローマの復興がその本質的方向性となっていましたが、それと同じ方向性を日本も目指さなければならないと前回記事で書きました。おそらくはドイツ人と日本人の哲学的利害が一致すると思います。


オーストリアやドイツの木質バイオマス自然エネルギー推進系、新しいナショナリズム系統の人たちが日本の地方のそういう人たちと結合した時になんらかのムーブメントが起こるような気がします。そのトリガーは、外国語であり、外国文化の本質的理解です。


100年前と現在では状況が違います。マルクス・レーニン主義が存在すれば、資本主義と死闘を繰り広げられますが、現在は世界中がなんらかの資本主義思想に染まっています。そのような中で100年前と同じ質の武力衝突というのは考えにくいです。


しかしながら、それを以ってして、戦争は起こらないとすることはできません。ですから私たちは日々、考え、行動しなければならない。勘のいい人は気付いている、あるいは気付き始めています。この問題は、日本人だけで解決するのは難しいのではないだろうか、と。それで欧州の問題を見てみると同じ問題を抱えている。



もっともっと私たちは理解を深めなくてはならないのです。



経済学というのは、種々の経済活動の中に法則を見出し、国家と国民が継続的に発展していくモデルを変化に応じて、最も効率的な結果を出せるように講じていく、ためのものです。

しかし、それらが今、根本的に瓦解している。なぜならば、多くの人間が一体、自分たちが今何に属しているのかさえわからないほどの多様な選択肢を突き付けられ、何を以って幸福なのかという明確な目標さえ失っているからです。

お金があればいいのか、パートナーさえいてくれればいいのか、あるいは、未来が約束さえされればいいのか、、、なにもかもが違っているような気がする。内側が確かでも外側の社会が瓦解していくのが確認できるからだ。では外側を直していこう。しかし、何から手をつければ良いかわからない。手始めに問おう。国家とは何かを。国民とは何かを。外側が壊れている感は自分たちがそれらの問題に真摯に向き合ってこなかったからではないのか。さあ向き合おう、哲学的に。さあ話そう、天下国家を。


それによって外側を強くするのだ




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