終戦そして 〜 Darkside Heaven 〜
いつもありがとうございます。
今日は終戦記念日。記念日という表現も少しおかしいと思いますが、私にとってもある意味、今日は終戦記念日。
人間と人間の対立も、過ぎ去ってしまえば他愛もないこと。世の中には対立できる言葉をしゃべることもできない人がいる。私はそういう人たちの代弁ができればいいと思っています。それが最高の芸術だとも思っています。
エジプトでは全土厳戒体制。造られた紫陽花革命でたくさんの方々が無益な闘争に動員されている。
和することこそ日本人の使命。付和雷同ではなく、和して同ぜずの精神で。
私の『世界最終戦争論』は、このような“分離のゲーム”に対する最終戦争論。石原莞爾に捧げる戦後68年目の私の日本人論。
統合のための分離は、激しく大地とリバーサーを揺さ振る。ダークサイドに見入られた人々は自分のネガティブな感情を見つめる必要がある。
『分離』は、『他責』の積み重ねで起きる。逆に『統合』は『自責』の積み重ねで始まる。これは簡単なプリンシプル。
つまり、『分離』を選択し、ダークサイドに陥っている人々は、他を責めることだけに焦点があっていて、自らの過ちを見られないという特徴を持っている。
脱原発の他責派を見てもらえればわかると思いますが、国を責めてばかりで自分たちがそれを許してきた、作ってきたことへの反省がほとんどない。
原発がどうしてできたのかについては幣ブログでも何度も書いています。地域の人たちがそれぞれの郷土を守っていけば原発の補助金に頼る必要などないのです。
脱原発自責派は叫ぶ前に行動している。官邸前で叫ぶよりも原発が入り込みそうな地方に行き斬新なアイデアと行動力で議会を制圧できるほどの活動をすればいいこと。
これは人間の心にも適用できます。自分の輝きだけを突き詰めていけば、誰かや何かのせいにする必要はないですし、環境を変える必要もありません。変えるべきなのは、自分の心の隙間や虚無感を埋める精神的素養のみです。
運命の糸を結ぶのも絡ませるのも私ではなく、神の意志がそれを望んでいる。
笑ってしまうほどのダークサイドのオンパレード。まさにダークサイドヘブン。
自分を正当化するために“悪”のレッテル貼りをしている人は、結局は自分がその“悪”の中に墜ちていく。
アンパンマンは『正義はすぐに変わる』と言っている。
愛とは“自己犠牲”と“利他”
怖れとは“他者犠牲”と“利己”
その“利己”にとらわれた人はルシフェルに魅入られた人々。しかし、ミカエルはその堕天さえ許している。それが“愛”