SASURAHI Shadow〜南海トラフWalk in〜


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かなりショッキングな出来事があったのですが、ブログとツイッターがあって助かりました。なぜかテレビも見られない状態です。


高知と山梨で2日連続の40度超え。土佐の黒崎の宮を含む巨大な大地が沈没して伊豆の大瀬崎が隆起した白鳳の大地震の何かの予兆であるようなつながり。


南海トラフの爆心地、土佐沖プレートが動く時、『ジャーン』という怪音が空にコダマするというのは何年も前から書いています。『天災は忘れた頃にやって来る』の名言で有名な寺田寅彦の調査報告です。


富士山が日本一の山になったのは南海トラフの東端だから。西側は過去1300年間、沈没率が高い。



甲斐武田氏と土佐香宗我部氏が同族であることはあまり知られていない。武田征伐の直後に四国征伐を実施しなければいけなかった理由も実はその裏に隠れる一条氏をめぐるつながりのもの。


藤原信長を熱田でしたためた織田信長が当初目指したのは一条氏が実権を握る藤氏長者




シャーマニズムが強い人たちは自分の運命から逃れることはできない。見たくなくても見させられる未来。南海トラフが動く。


とある霊感の強い子供たちが見せた今日の泣き。悲しい夢を見たらしい。もう一回嫌なことが起きるとも。


ネガティブさを背負ってネガティブさを吐き出す。それは正常な作用



今までの辛く苦しいものも流してくれる。そこから始まる新しい未来。備えよう、JapaneseRAIN


原点回帰の大潮流は来ている。美里さんの『My Revolution


生きる度に背負ってきた重い荷物。捨てるのはその重い荷物であって魂の純粋な炎ではないはず。



統合のための分離は誰にとっても辛く長いトンネル。


自分の心の奥にしまった一番大切なものとは何だったのか。



運命から逃れることはできない。運命に立ち向かうことによって最上の輝きが生まれる。



離れれば欲し、欲すれば離れたがる。プレートのプリンシプル、N極S極のプリンシプルも同じ。心の作用は磁力であるし、力の相互作用



互いに尊重し、互いに認め合い、互いに許し合い、互いに高め合う。


なぜこんな簡単なことがこんなにも難しいのか。皆、ことごとく手詰まり、違う力を互いに必要としているにも関わらず、資本主義的抑制と個人主義的葛藤が状況をさらにネガティブな方向へと導いていく。



それを超える無限大、左すら日



一度背負ったカルマから逃げてはいけない。背中を向けるとどこまでも追ってくる。クマやイノシンと同じ。不安と怖れの隙をついてくる。唯一の撃退法は顔を上げて対峙すること。



不安や怖れは誰にでもある。それらは必要以上に現実を見えなくする。Love is blind(愛は盲目) とは言うが、Fear is blind とは言わない。しかし愛と怖れの関係は作用・反作用の関係


クマやイノシンが“悪”なのではない。自分を襲ってくる彼等に無意識に“悪”のレッテルを貼ってしまっている自らの思考パターンが不要なのである。



犬に対してもそうです。この犬恐い、と思って近づくと噛まれるパターンが多いです。怖れは簡単に伝播しますが愛することは簡単には伝播しません。



クマやイノシンを愛することとは、その凶暴性を受け容れるということ。自然を受け容れるとはすなわち、そういうこと。


害虫、益虫、と虫によって存在をジャッジするのは自分にとって損か得かを判断する資本主義的『損得勘定』からやって来る思考ジャッジ




それと同様に自分の未来にとって損か得かを判断すればすなわち、クマやイノシンを逆上させてしまいます。なぜならその判断自体が人間の身勝手であり、クマやイノシンも私たち人間と同じレベルの生命体であるからです。



これらの思考パターンと思考ジャッジが最終的に身勝手な『原発』という怪物を生み出してしまった現実に皆が気付かなければならないでしょう。その芽はあちこちにある。



何度も投げ出したくなりますが、それでも投げ出したくない未来。日本人は我慢や忍耐が足りなくなった。山道を歩くとついてくる送りオオカミというのがいた。クマやイノシンとは比較にならないほど恐ろしいもの。恐怖で振り向けば噛み殺されるというもの。それを私たちの先祖は神(噛み)と崇めた。



それだけの恐怖を体験すれば普通の感情的怖れなど怖れるに値しない。マザーテレサはまず自らが愛することを説いた。時代がいくら変わっても変わらないものがある。このふたつの流れを不易流行と呼ぶ。20代の頃に魂で理解した普遍的な真理




実家に帰省していましたが親戚中にいろんなことがあります。親戚や地元の地域社会などは私がどんなことをしても信頼してくれる温かいもの。だからこそ悪いことはできないでしょう。日本人の犯罪抑止力はこういう風に地域社会が作っていた。まず性善説に基づいて愛してあげれば犯罪は減る。そこに無理矢理『法』をねじ込み、アメリカ型資本主義精神を植え付けた。

そのアメリカ型資本主義精神にはカトリックの女性蔑視に対抗するプロテスタント的な強烈な女尊男卑思想がもれなくオプションで付いているから、おかしな男女共同参画社会などというプロテスタントの布教団体真理が幅をきかすようになった。日本国は少なくとも縄文時代から母系社会です。


ちゃんと歴史を勉強して欲しいと思います。だからこそ“まず愛する”という伝統が地方には残っているのです。都市的な“まず疑う”という思考回路を田舎に撒き散らさないで欲しいです。本当に田舎は平穏だし満たされている。県民所得が少なければ少ないほどね。なぜならそこには協力、協調、助け合い、励まし合い、愛し合い、認め合い、などの人間にとって最も重要なものが全て揃っているから。


それを子供の頃に体験していない人たちは名誉や名声を手に入れてそれを実現しようとする。


協力、協調するのではなく、権力とお金の力で無理矢理、協力、協調させることができるから。そういう方法しか知らないんです。


人間の欲していることは結果的に同じ。足元を見れば転がっている、大切なもの






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