Iz over〜始まってもないことは終わることもない〜


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終わりだと考えていたが、実は始まってもいなかったという真実に気付く八月の朔、咲く、割く、策、、、、、のエナジー



それは東電が汚染水漏れを二年間も放置していたという驚愕のニュースからも窺い知ることができます。



本日8月より、薄いですが統合の波が来ています。


『単純二項対立』と『我欲一極受容』に飲み込まれないためには、第三の道、つまりは“音”が必要です。


原発を攻撃する人間は自分が原子力ムラと同じ思考パターンであることに気付いてないですし、男尊女卑を攻撃する人間は自分が強烈な女尊男卑思想を持っていることに目を向けようとしないですし、傷ついたという人ほど自分がどれだけ他人を傷つけているかに気付かないですし、ノンジャッジメントを主張する人間は自分が“ジャッジする人間”をジャッジしていることに気付いていませんし、無条件の愛を主張する人間は“自分が嫌っている人間”に対して条件付きの愛しか与えられない人ですし、幸せになりたいと主張する人間ほど他者の幸福に恐ろしく鈍感ですし、自分の権利ばかり主張する人は自分が負うべき義務を投げ出して、どれだけ他人の権利をも侵害しているのかに気付いていません。


本当に馬鹿馬鹿しいです。変えるべきは何かや誰かや環境ではなく、自分自身の考え方のみなのです。自分がリバース(再誕生)できないことを何かのせいにして“自分が善、周りが悪”と決め付ける思考パターンはもう古いのです。その思考パターンが良くない状況を引き寄せていることにも目を向けなくてはならないでしょう。


12年前から何度も書いていますが、地球交響曲にも出てきているように右手と左手の二項対立の中から“柏手(かしわで)”という第三の道(音)が生まれます。東アジア一帯に広がっていた中性の文明です。神社で手を叩くのも、この古代文明を継承していることの証です。


または右足と左足という矛盾した存在があるからこそ人間は前へと進むのだ、という古代哲学も東アジアには広がっていました。その多くを言語化できたのが中国の『矛盾』哲学です。住吉大社の門神の位置には“矛”社と“盾”社があります。これを単に中国の文化を継承したに過ぎないと考えるのはあまりにも早計です。


なぜならば、高知県の縄文晩期の遺跡からは古代東北の漆の文化と中国の古代文化の伝播が確認され、それを統合する新たな文化が生まれたことも確認されているからです。住吉大社の矛と盾の文化はその日本の古代文化を継承し、中国哲学を用いて新たに言語化されただけだと考えるほうがよりナチュラルです。



北陸や日本神話の中ではククリヒメの役割ですが、伊勢ではそれを猿田彦が担っています。性はどちらでも良いのでしょう。


乙と男と書いてオトと読みます。妻や夫が逆の性を意味していたということもありました。




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