旧約聖書


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最近、怒っている方や八つ当たりをされて来られる方がたくさんいらっしゃいますけれども、その状況を読み解きますと潜在的な社会不安の増大がひとりひとりの深層意識に怒りの芽を植え付けているのがわかります。


長い円高の中で日本のものづくり産業は輸出が思うようにできないというフラストレーションから深刻なダメージを受け、それらに携わる人達の先行きもその流れに沿って不透明感がさらに増大しているような状況です。


円高還元と安い海外製品あるいは海外工場生産日本ブランドを買ったとしても家電製品や衣類はなぜか昔ほどモチがよくなく次々と買い換えをしなければいけなくなっています。政治家と同じです。


これら全てに共通することは“品質の低下”です。


品質の低下が何から起こるかと言えば唯物主義の進行、形而上概念把握の低下による哲学的思考の低下です。


私たち日本人が時代に要求されているレベルは若い世代が民主主義のアプローチを選挙以外の手段でひとりひとりが達成するというものです。


そこに到達するためにこれからも様々なことが起こるでしょう。それらは全てわたしたちの自立を促すための必然的なトリガーとなります。気付くのが遅ければ遅いほどダメージは致命的になり、子供たちの世代にまで負の遺産を残すことになるでしょう。


例え円安に戻り、名目経済が回復基調になったとしても我々若い世代が合意形成を構築し、民主主義を遂行して社会を運営しているわけではないという事実は変わりません。


問題の根源がどこにあり、それを解決するような流れが出てこなければ全て付け焼き刃であることに変わりはありません。


気付こうとすればその環境はあり、合意形成を行おうと思えばそれもすぐに成し遂げられる状況はあります。ただひとつ足りないのは、本気度を持った人の絶対数です。


旧約聖書は捨て、新たな約束の地へと向かわなければなりません。





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