長岡リコールマイセルフ②


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われわれの内にある限界公式とはどういうものだろうか?

本来の自分(リコールマイセルフ)、本来の日本(リコールJapanese)へと回帰する大潮流の中で私たちは一体何をどのように振る舞えば良いのでしょうか。

日中問題、維新の会問題、原発を含めたエネルギー問題、外部現象世界においても私たちは生まれ変わる(リコール)ことを大地から要求されている。

私はこのような大転換期に生きたことがなかったので社会というものは理性的な知性によって革命されていくものだと思っていました。

しかし今、沸き起こっているエネルギーを感じると“全てを捨てて本来の自分に戻れ”というリコールのエネルギー。これが今回の長岡ワークの前に決まっていたテーマでした。


この流れの予測はおそらくある程度の精度はあったものと思われ、何年も前から追ってきた真の第三極の芽吹きが今ここに始まったことを宣言するものであります。


現実の現象世界はこのエネルギー世界で起こったことを追うわけでありますので放っておいても後はオートで変容していくだけになります。


それがなぜ9月22日の長岡京でなければならなかったのかは今の段階ではわかりませんが、、そう言えば秋分の日でしたね。


今年の春分の日は家族で生石神社と高御位山に参拝しました。昨日も書きましたが長岡京と宝塚奥と播磨要所の繋がりは非常に濃いです。

ヤマトタケルのお母さん、この方も播磨出身です。


自分が住む地域のことであるのに知ろうとしないのは完全に自己アイデンティティーの放棄でありますし、サブカルチャーの成立地盤を強烈に危うくするものであるので、そもそもテレビで言っていることしか信じられないという画一的価値観を増殖させます。


サブカルチャーはこの画一的価値観を多様化させる健全な民主主義精神の賜物ですから教育水準が高くない地方都市ではあり得ると思っていましたがまさか関西圏全体が地方都市と変わらないレベルの脆弱性を持っていたというのに心底驚きました。日本のセキュリティホールになっているでしょう。


長岡京訪問の後、売布(めぶ)神社経由で帰りましたがやはり何か深い繋がりがあります。今はもうすっかり忘れていましたが、京都の壬生の一件、前回売布を訪問した湧水エレベーター事件。これらとも深い繋がりがあるのは確実なようです。


このブログを始めて一年、期待と失望を繰り返し、このような流れを不特定多数に発信するのはやめようと思っていましたが今回はそれを覆す何かがあったようです。


これを機に日本人が戦後のマインドコントロールから抜け出してくれれば良いのですが期待しますとまた失望が大きくなるだけですのでさらっと流す程度にしておきながら私のブログの中でも最も短命で幕を閉じるかもしれないこのビジョナリーワンについて最後のビジョンを書ければなと思います。


この2、3ヶ月で日本人としての自分を捨てたいと思えるほどの出来事がたくさんあり過ぎましたから、もう私の中にも皆さんの日本人力を鼓舞してあげられるようなエネルギーもほとんど残っていませんが最後の力を振り絞ってVisionaryなONEを提示できればと思います。


最期の賭けと云いますか、当事者意識再生の祈りになります。


日本再生のためにはまず関西圏の哲学性の回復というのが必須条件となっています。その必須条件の前提として自立したサブカルチャーが存在しなければならず、それが存在するためには健全な郷土愛と物事の本質を理解する理解力、自分の郷土を知ろうとする意志・意欲・勢い・反骨精神みたいなものが必要になります。

20代の頃最初に手にした哲学書がアランの『幸福論』、そんなのイラン、となってないだろうか。『思想の源流』、それもイランのだろうか。潮流は確かに思想よりも実益に傾いている。





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