塩ニズムの縄文復古運動

kohya_hibiki+spirituality2012-07-17



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今日は剣山山頂に神輿があげられる本宮祭の日。

そして、祇園祭の神輿渡御の日でもあります。

このふたつをつなぐものは、皆さんもご存じwikipedia:シオニズム

私の中から沸き上がる懐古主義も相当なものがあります。

私たち日本人がシオニズムを積極的に受け容れたのは、弥生のガチガチの権力闘争を縄文復古運動へと進ませ、国内融和へと向かわせる起爆剤としたのではないかと強烈なヴィジョンを頂きました。

今、私たちが失っているのも日本人としての在り方。

原発容認派と反対派に二分された世論。尊王攘夷論と公武合体論に分かれて戦った幕末。結果的に実行されたのは尊王攘夷後の開国という奇策。

日本人とは何か?

紅組・白組に分かれて戦うのがただ、好きなだけではないのか?


幕末で犠牲になったのも福島、wikipedia:四道将軍の時代にも福島は嫌な役回り。朝廷の討伐将軍が落ち合うから会津。挟み撃ちしないと倒せない先住民がいた可能性も否定できない。

歴史は繰り返す。二元論の中から先祖が選択した解決策は常に【奇策】

だから普通にやっていても無駄だ。常に頭を柔らかくし、いつでもジャンプできる用意をしておかなくてはならない。幕府はあっという間に瓦解した。

まさか今時、政府官僚機構がこのまま続くと思っている人もいないでしょう。浮かび上がっている“テーゼ”は明らかに近代国家システムの終焉というもの。

その哲学的テーゼに対してどちらでもない解を紅組・白組に分かれてヤンヤヤンヤするのは日本人の得意技。悪く言うと時間の無駄。日本人全体が少なくともフランス人レベルの哲学性があるならば、原発再稼働の問題もすぐにカタがつく。

震災前から課題はひとつ。9.11の頃から何一つ変わっていない。第三極が生まれてくるかどうかだけ。ただその第三極が何であるのかを認識できない人たちが多い、というか第三極の本質的意味を理解している人は国内に僅かしかいない。


問題はエネルギー問題ではなく、哲学的問題なのです。“死”に直面して初めて人間は哲学的テーマを問います。出さなくても良かった犠牲。まだ“死”を他人事だと思っているバーチャルリアリティーを生きる鱒メディアにマインドコントロールされた人たち。


弥生の権力闘争はとても激しい。鉄と水の闘争、あるいは鉄と麻の闘争。“力(原発)”か“愛(命)”か、、、『紅組・白組に分かれて無益な闘争をする前に自分たちの先祖の歴史を学べ』、というのが私の基本的スタンス。答えは過去に全て記されている。

その答えを知れば、我々は対立を超えてひとつになる。神話は既に始まっている。



それを解決するために用いられたのがシオニズム3月の甲武合体論から書き続けている第三極の奇策。


因幡の素兎は塩を擦り込まれた。

何のためのシオニズムか?それはもう少しで答えが出る。


塩は、水と火(日)の相克で取り出せる。水に溶かすことができる鉱物。砂に近いが砂とは違う。大国主(岩)でも少彦名(砂)でもない新たなるもの。


鉄が岩を砕き、水を汚した。しかし“塩”は、その悪業を超越する効果を発揮した。それがwikipedia:シオツチノオジに対する私たち日本人の尊崇。

籠神社奥・天真名井社のさらに奥には塩土老翁住吉同体の立石。

“清めの砂”と“清めの塩”があるのは、そういう理由から。ルーツは異なっている。邪気祓いでは、現在ほとんどの場合“塩”を使う。


『鉄』にも『水』にも偏らない未来を選択するため。


来るか和敬静寂


海人族は偉大なり。大海原を駆け巡っていただけに視野が広い、当時の海人族も日本人の紅組・白組闘争にうんざりしていたと思います。

フェニキアヴァイキングも非常に哲学的。フェニキアは国家という哲学的概念にプロテストして戦っていたし、ヴァイキングに限ってはローマ国教キリスト教に対してレジストしていました。それはまるで、アテルイ藤原純友のような“ピュア”な海賊。ただの海賊ではない時代精神を投影した哲学的テーマを内に明確に認識し、戦っている。乾坤一擲、天下を変える。


我々は今、山からは修験者として、海からは海人族として霞ヶ関・永田町にシグナルを送らなければなりません。自分の子供たちと国の未来を守るために。







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