異質空間と結果

kohya_hibiki+spirituality2012-06-28



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石器時代から1万数千年、日本列島に住んできた私たちの祖先は様々な信仰を受け容れ、様々な社会変革を行ってきました。

そのような激動の日本列島の歴史においてもどの時代にも通じるひとつの共通点があります。

それは、いかなる状況に陥ろうとも【水・命・子供達】を守ろうとしてきたことです。

この長い歴史の視点で日本史を鑑みた時、たったひとつ上記に当てはまらない異質な時代があります。それが戦後67年という時代です。


自分を守るために弱きものを犠牲にしてきた戦後67年。

愛・平和を口にしながら具体的行動をすることができなかった戦後67年。

権力や巨大なものに迎合し、善悪の判断ができなくなった戦後67年。

しまいには『善い悪いなんてないんだ』と宣う昆虫も発生。我々の先祖が命を懸けて勝ちとった法治国家というシステムを覆す気なのでしょうか。変なスピリチュアル本を読むよりも“基本的人権の尊重”という法の精神がいかなるプロセスを経て明文化されていったのかをお勉強なされたほうがよほどためになります。


あげればキリがないですが、戦後日本人の日本人としての異質性(知能指数の極度低下)は歴史を知れば知るほど際立ってきます。

『こいつら絶対に日本人じゃねぇな』と、私の日本精神は素直に反応しています。

強きを挫き、弱きを助けた素晴らしき石器時代から戦前までのご先祖さま。

反対に、弱きを挫き、強きに迎合し続ける戦後のわけのわからない、なんとなく日本列島に降って沸いてここに居座り、日本人の顔をして、日本国の社会保障を受ける人たち。言葉悪いですけど、反吐が出ます。本当に気持ちが悪いのです。

そういう人たちに対して【許す・許さない】の問題があるわけではなく、ライオンはライオンであり、キリンはキリン、日本人は日本人としてしか存在することはできないのです。魔法使いによってキリンがライオンの真似事をしている、それが今の状態です。

原発を推進するものたち、それにデモで対抗するひとたち。私にとってはどちらも同じに見えます。

皆がやってるからやってるのではないですか。ひとりだったらいけますか?多分いけないですよね。ひとりで反対するということはそれなりの法的根拠と哲学性がなければ無理です。どちら側にもそれがありません。

本気で原発が日本国のためになるというのならばひとりで伊勢神宮に乗り込み、『伊勢神宮の目の前に原発を建設させてください』と直談判してみてはどうでしょうか?そんな勇気も根拠もないのに、『だったらお前ら電気を使うなよ』という電力会社社員、公務員の負け惜しみのような苦し紛れの思考パターンは、聞いていてため息が出ます。


そのような状況を改善するために10年以上も同じ活動をしてきています。問題は原発云々ではなく日本人全体の哲学性(メタフィジカル)の欠如にあります。何度も書いてきています。


これからどうすべきかは全部事細かく書いています。

まず、すべきことは哲学性の成熟化なのです。

成熟化すれば思想的に真に成熟している人のところに人が集まる→やっと日本がまともに動き始める→政治も変わる→エネルギー政策も転換できる、のです。

簡単に言えば現在はタクシーの運転手に恋愛相談をしているような段階。的が外れ過ぎています。

政治屋(選挙に当選してwikipedia:政党交付金に寄生する寄生虫)と政治家(独立自尊の政治思想を持つ人、必ずしも選挙に出馬するとは限らない)の区別もつけなくてはいけません。

思想家というのもそんなに日本に何人もいるわけではありません。しかし時代を切り開いてきたのはいつの時代も思想家です。まずこの事実に到達しているかどうかです。私は20代の頃に“思想の源流”という本を読みました。図書館に行って1日に100冊くらい読破するという生活を何年も続けましたので一般教書の読破率はかなり高いです。私と対等に話しをしたいという方は少なくとも10万冊レベルを読破したパンキョーを身につけてお越し頂ければと思います。そうでなければ話にならないですし、本気度を疑います。


古代ギリシャローマにひっかけた巡礼ワークをやっているのもそういう理由からです。

『なぜ古代ギリシャなの?』などと質問されると、かなり脱力しますので、先に書いておきますと西洋文明の哲学的ルーツは古代ギリシャにあり、日本の神道にも似ています。哲学性を復興するということはソフィア(智)をフィロ(愛す)ということです。

期待はしていません。10年後くらいにひとり出てくれば良いかなレベルです。松下幸之助氏以降、政治思想・経済思想共に新たな思想家は日本には生まれてきていません。

いつもわけのわからないことを書いているのは、実はあれが古代ギリシャにも通じる言葉遊びだからです。普通の人にわからないのは当然です。古代人と現代人の使用する脳の領域は違います。

関西に来てからというものヤル気を萎えさせる出来事が増えたため、半ば廃人のようになりかけていますが、そもそも東京でも思想的に純粋培養された上澄みの人にしか理解しえなかった領域ですから期待するだけ無駄だということはわかっています。

でももしかしたら、、、という期待はあります。

本気でこの国を変えたいと思う人がいましたらいつでもご連絡ください。当然のことですが六法全書ぐらいは最低限、目を通しておいてくださいね。合法的革命でなければマジョリティを短期間で覆すことは出来ません。

今日、私たちが存在するのは、特別攻撃隊を含め命をかけて強きと戦ってくれたご先祖さまのおかげ。

富を持たずとも東方の文明国として戦前まで非常に高い位置にありましたが、現在の平均的な知能指数は多くの発展途上国のそれよりも大きく下回っていると感じます。

発展途上国では、いかに学問ができなくとも、将来は自分以外の公(おほやけ)のために尽くそうとする知能指数の高い人たちがたくさんいます。

しかし、我が国では大学まで親に出させてもらって自分以外の社会のために尽くそうとしない人たちがたくさんいます。

そういう人たちにとって学問とは一体何だったのでしょうか。日本はあまりにも恵まれ過ぎていると思います。

学問とは何か、人間とは何か、生きるとは何か、国家とは何か、10代の頃に問い、ある程度の答えを持って社会に出ていくという最低限の常識・ルールがそこに存在するはずもありません。

問題は、その問いがなかったことではなく、そのような大人が社会にひとり増えることによって弱いものが犠牲になっていくということに考えが及ばない浅はかさです。

わかったようなことを言う方はたくさんいますが明確な目標と哲学性を持って行動している人はごく僅かです。

何事もそうですが、なんとなく行動していてもなんの結果にも結びつきません。深い哲学性に基づく目標、そしてそれを達成するための綿密な行動計画、それを根気強くどこまでも続ける粘り強さ、それらが確かな結果を引き寄せます。

私は自分の理想を語ったこともありませんし、これから語るつもりもありません。そもそも理想など持っていません。

1万数千年と継承してきた我が国の規範を述べているだけに過ぎません。拝金主義と日本人らしからぬ権力主義に陥った戦後日本人にこれまでの日本人がどのように生きてきたのかをたしなめているだけです。

経済大国というマインドコントロールで理想や夢物語を吹聴しているのは権力主義者や大企業群です。

もっと地に足をつけて経済活動を行う必要があります。資本主義は工場制手工業のマニュファクチャに回帰させるべきであり、政治は正しい形で経済をコントロールしていかなくてはなりません。

経団連が官邸に出入りすることなどあってはならないことです。

経団連が政治をコントロールするために企業献金廃止の動きを封じ続けていますが、そういうことが違法性が高い行為であることに国民ひとりひとりが気付かないことに問題があります。

なぜなら国民の多くが経団連配下にぶらさがっており、トップが悪事を働いても告発できないような食物連鎖が構築されているからです。

このような食物連鎖自治労(公務員組織)をバックにする民主党でも同じであり、日本国憲法を何重に犯しても逮捕されない重大な組織犯罪の温床にもなっています。

ぶら下がり健康器なんていうものも昔ありましたが、この場合は“ぶら下がり不健康器”ですよね。笑えますけど本人達はそれが不健康だとは露にも思っていません。落ちないために必死に戦っている、客観的視座で俯瞰すれば何が不健全で不健康かはわかるはずですが。


30歳になっても日本国憲法を知らない、法治国家とは何かを考えない、選挙が民主主義だと思い込んでいる、パブリックコメントが形式民主主義であるということに気付かない、、


あげれば本当にキリがないですが、新興宗教よりも強いマインドコントロールで自分たちが戦後日本教に洗脳されていることに気付かない人がたくさんいます。

北朝鮮のことを揶揄している暇などあるのでしょうか。日本人のマインドコントロールが世界一酷いです。




戦後日本人から抜け出そう!


新しいアクエリアスの時代へ!







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