斑鳩スフィンクスブロー④ 〜 青丹よし奈良の都は 〜

kohya_hibiki+spirituality2012-06-20



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いつもありがとうございます。

かなり深い部分ではありますが、個人セッション(共有の了承は得ています)の中で潜行している部分と巡礼ワークで導き出している現実と大地の動きが完全にシンクロしているので、書いていきますね。

以前より【ケルト-ヤマト-マヤ】ラインを同じ共和制・連邦制を採用した社会構造だと論じてきましたが、wikipedia:テスカトリポカが指し示すものはかなり深いものがあります。

先日の龍田大社で感じたカラーに対する感覚は、中国の陰陽五行というよりは、むしろこのメソアメリカに存在したものに近かったです。Five Element Workers (FEW)では、陰陽五行も取り入れていますが、どちらかと言えばこのメソアメリカの色の感覚に近いものがあります。

日本でいうところの<青丹よし>、私の独自解釈で青色と赤色の縞模様のコラボレーションの間にこそ奈良(国を指し示す単語)が宿ったというものです。テスカトリポカの「縞模様の顔」と「煙」という要素は住吉大社と浦島太郎という結合隠喩をも示しており、これは結構、九頭龍でもありますよね。住吉も浦島太郎も海というキーワードでつながっているのでアステカの「そこに首都を創設せよ」という予言(現メキシコシティ)は、日本の古代とも深く関わっていますよね。

大和盆地の埋め立てと京都盆地の埋め立てはwikipedia:テノチティトランの都市設計思想で解決することができます。これがこれまで言ってきました壬生・美濃・箕面の問題をも解決します。



青丹よし奈良の都は(Hさんが発見した葉っぱ)


青丹よし奈良の都は(Mさんが買われた風神お守り)


青丹よし奈良の都は


すべて青と赤のコラボレーションです。緑が青と認識されていたことは何度も書いてきました。

赤い腹の緑蛇。翡翠と丹生の攻防。朝日と夕日の対立。

龍田大社創建の光臨は、朝日と夕日を祀ることのできる場というのが条件となっています。つまり、これは明石の御厨神社にもある朝日大神(アマテラス)・夕日大神(トヨウケ)のセットでもあります。

この和合こそ伊勢以前、我々大和の先住民族の和合祭祀でもあり、八十島祭でもあり、天の川祭祀でもあるのです。

朱緑(あかみとり)をつなぐのは風。船渡御神事は各地で行われています。


帆・火・穂、、、


アステカ・マヤ・インカ文明の軍事的意味における特徴は、火器・鉄器を持たなかったことです。この部分がヤマトの古代とは少し異なります。

しかし、その異なる部分こそ大きな意味を持っていて、緑は青銅器時代、赤は鉄器時代を意味しているのではないかと思います。その調和を目指した国作りこそ青丹よしヤマトの国ではなかったでしょうか。

朝日(東)と夕日(西)が対立することなく、男性性も女性性も対立することなく、和合と融合の東方の国・アナトリコン、それこそ日出づる国にふさわしい。

四万十川河口の一宮神社には七星剣が伝承されていますが、龍神池に囲まれています。そこから大文字焼きが見えますが、まさに鉄器と龍神の和合が大文字の精神によって成し遂げられているのです。



法隆寺の柱にも龍神が巻きついていました。白鳳時代に仏教が土着の龍神信仰を習合しようとしていた痕跡ですね。

鉄器と龍神が相容れない信仰というのは未だ各地に存在していますから、北斗七星(龍)と水神(龍)を重ねることによって国をまとめあげようとしていた宗教者たちの熱意というものがひしひしと伝わってきます。


ネストリウス派が異端とされて東に追放されたのが431年、ちょうどその頃の中国は南北朝時代wikipedia:宋 (南朝)(420年 - 479年)とは倭の五王も貿易をしていました。継体天皇は(450年 - 531年)、wikipedia:エディンバラケルト人の砦は(500年 - 599年)の間、エフェソス公会議から50年後にwikipedia:西ローマ帝国が滅亡します。その判図を見てももらえばわかりますがエディンバラは含まれていません。

世界的に似たような情勢です。帝国主義先住民族系の文化や宗教を飲み込みながら拡大していく時代です。古代大和もその流れに相反していたわけではないでしょう。

むしろ、その時代情勢を背景にして青丹よしの思想が構築されていったものと思われます。


龍田大社の付近には、春宮・秋宮の痕跡がありました。また改めてレポートしますが、これはかつて大和盆地が湖であった可能性を示唆しています。アマテラスとニギハヤヒ、そして夕日大神(トヨウケ)のすべての神名を内包するためには東に湖があり、そこに太陽を押し付けるという押照の思想がなければ完全にはなりません。

それを考えると春日大社の意味も見えてきますし、神武天皇の龍田越え、大和三山の意味もより重要になってきます。

つまり、奈良盆地地政学は東よりも西側を重要視しなければいけないということになります。大和高原の土蜘蛛と呼ばれた人たちを征服した人たちは大和盆地の西側に位置したナガスネヒコ系の勢力でないということになります。つまり、大阪湾を勢力下におくナガスネヒコ系の勢力が大和盆地の西側を勢力下に置き、大和盆地東側の大和高原勢力と連邦制を保っていた可能性があるということです。


赤と緑のコラボレーションは、まさに仮面ライダーあまぞ〜ん。龍田大社に伺った時、大和川は氾濫し密林のような暑さでした。南米か!と思いましたが、やはり今日、メソアメリカにつながりました。

龍田大社が創建された頃の色の感覚は、後に陰陽五行として中国で体系化されたものではなく、メソアメリカに存在する青銅器時代の【青丹よし】の感覚であるということです。



龍田大社のもみじは常に青丹よし


あまぞ〜んは天存、海女存、海人存、尼存、海部存、、、やっぱり海人族

ヴァイキング、海賊はきていた。あ〜先住民族の王・麗しの藤原純友さま、、、フラッシュバック・・・




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