斑鳩スフィンクスブロー③ 〜 カナリア七島と賀茂伊豆七島、そして七星剣 〜

kohya_hibiki+spirituality2012-06-18



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いつもありがとうございます。

昨日のジキドウのことですが、Yさんに情報を教えて頂きました。

学生食堂は、学食と略称され、大衆食堂は、やゝ古色を帯び、食堂車は運行時間の短縮によって姿を消したが、「しょくどう」とよめばこれはたしかに現代日常用語である。「しょくどう」のよみは明治以後のことになる。学校教育制度の充実に伴い、青雲の志を立てた若者が、故郷を出て各地の高等学校・大学に学んだ。遊学の若者に寄宿舎・学寮は必須のものであったが、この寄宿舎における食事室を食堂と称した。後、邸宅の食事室や食事を供する店をも呼んだが、特に関東大震災以後、東京では比較的安価に食事を提供する店が急激に増加し、これを大衆食堂と称した、とものの本にある。明治以後のことはともかく、食堂はもと「じきどう」とよみ、寺院において修行する大衆( たいしゅ) の食事を行う堂宇( どうう)をさすことばであった。古くインドにおいても、中国においても、食堂は僧衆の威儀を整すところとされ、食堂における行状は、僧衆風儀の一切全てを表する、とされた、まことに重い意味を持つ場であったのである。日本においては、奈良朝の東大寺興福寺薬師寺等にこの堂があったと記録に見えるが、平安朝中期以降は食堂の制度が改められて徐々に廃され、鎌倉時代に渡来した禅宗においてのみ、食堂は「僧堂」と呼ばれてそのはたらきと意味を現代に伝えている。「食堂( じきどう) 」と「食堂( しょくどう) 」の違いはまことに歴然としたもので、食堂( じきどう) には本尊を安置する。中国では、賓頭盧尊者びんずるそんじゃ) あるいは僧形文殊の像を安置し、南都興福寺では丈六の千手観音を本尊とした、とある。
「食堂」沙加戸 弘(さかど ひろむ)(国文学 教授)

素晴らしいエッセイだと思います。「食堂( じきどう) 」が平安中期まで使われていたというのも驚きですね。まさにwikipedia:アヂスキタカヒコネ(賀茂最高神)の思想と重なり、食を通して神仏習合が完全に成し遂げられていたということですね。

賀茂フェニックス(迦毛大御神)の実像もさらに見えてきています。

至る所に蘇鉄(フェニックス)も植えられえており、フェニキアがどのようにして縄文と結合していったのかが斑鳩では、かなり説明できます。

ちなみにカナリーヤシ(フェニックス)の原産地・wikipedia:カナリア諸島には、日本国憲法第9条の碑が建てられているそうです。

当ブログでは何度も紹介させて頂いているヘラクレスの柱の向こう側にある美しい島々です。

斑鳩では、巳さんと鳥の文化を強く感じましたので、よく考えてみれば完全、フェニキアですよね。フェニキアはエジプト文化も吸収していますので、崇神天皇朝の文化はエジプト系の可能性が濃いですね。最高神大国主と少彦名で、風神・倭宿禰さんがどのように関わっていたのか微妙なところです。


賀茂氏と各地の七滝・七島のつながりについては過去、何度も言及してきました(時間があればリンクします)これらとカナリア七島がつながるのは必然とも言えますし驚きとも言えます。それと蘇鉄、フェニキアを考える上で重要なメタファーです。



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