ユーラシアの東と西をつなぐもの

kohya_hibiki+spirituality2012-06-04



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ランキング投票いつもありがとうございます。古代ギリシャローマと日本とのつながり、意外とご興味をもたれている方がいらっしゃるのかもしれません。今までと少し違った手応えを感じています。



アマテラス神道固執するのは、明治時代の国家神道に捉われ続けるということなので、私たち日本人が本当の意味で自立するためには、明治時代の「和魂洋才」のレヴェルから一歩踏み出し、「和洋同魂」をこちら側から積極的に成し遂げることが重要だと感じます。


アマテラス神道と言いますのは、幕末の西洋の植民地主義に対して私たちの先祖が生み出した神社神道の一形態になります。それを現代風に焼き直さない・焼き直せないが故に、神道に対する拒否感が沸き起こってきているのだと感じています。

神道は、日本人の生活態度全般に関わる大切な信仰でありますので、大事にしていかなければなりません。神道の真理には”生まれ変わる”という考え方があります。

それが、ワカタケルやワカヒルメ、あるいは国譲りのルーツにもなっているだろうと思われる”ユズリハ”にもつながっています。

子供たちに文化文明を譲っていくという考え方が薄れてきたのは、戦後、神道に触れる機会が少なくなったからだと考えます。

譲っていくことによって結局は自分に還ってくるという感覚”巡り”も薄れてきているのではないかと思います。


経済学用語では、「フロー」と「ストック」という言葉がありますが、戦後社会は、経済的フローは増大しましたが、文化文明レベルで「ストック」が多く「フロー」が少なくなったのではないでしょうか。手放すことが少ない社会は、ストックが一定箇所に留まり、どうしても”澱み”を生んでいきます。

このストック(社会資本)の再分配を行うのが政治の役目ですが、古代ローマの言い方を借りるならば、現在は悪い意味での帝政なので、なんとかしなければいけないと思います。


世界的に見まして、政治思想的に共和制に一番近いのはフランスやドイツやアメリカですが、文化的に共和制を成し遂げられる可能性を一番持っているのは日本です。坂本龍馬とも親交があった中江兆民が第三共和制下のフランスのリヨンに滞在したのですが、当時のフランスの植民地主義に失望して日本に帰ってきて本物の自由主義思想を展開していくことになります。


パリコミューンを成し遂げたフランスは日本の地域構造に似ていて、地方が力を持っています。リヨンはフランス第二の都市ですが、ガリア(ケルト)色が強いとされています。結構、複雑ですが、フランスはガリア志向半分、ヴァチカン志向半分くらいなので、カトリックも非常に強いです。


スペインはフランスよりも地域の力が強く、国家そのものを維持していくこと自体が難しいレベルです。バスクもその事態を後押ししていますが、ケルティベリアと呼ばれるケルトフェニキアを足して2で割ったような、国家を持たない・国家を持ちたくない民族の影響、今でも濃いと思います。


イギリスでもスコットランド独立という事態が話題になっていますが、日本でも大阪独立、本気で横浜独立などということも議論されていますが、このユーラシアの東と西の果てで行われている地域独立の思想格闘の中から新時代の政治経済思想が生まれてくることは確かだと私は思います。



これは先日書きました、ユーラシアの西でアダムスミス、東で石田梅岩を生み出した経済学勃興期に似ているということなのだと思います。


それほど日本の役目というのは大きいので、楽しくやっていけたらなと思います。



少なくとも次代の核となるのは、これまでの帝政とは違い、真の共和制とシンクレティズム(文明混合)だと思います。ヒッタイト公用語が6言語あったように、近代国家そのものの意味とか意義とは何か?を深く問うような事態がこれからどんどん出てきまして、国境の再定義を迫られる事態に遭遇すると思います。



フランスのアフリカ系移民に対する政策は、経済格差を維持することによる強硬路線でしたがサルコジ大統領失脚によって何かが変わってくるものと思います。アメリカのリビア介入なども地域通貨の問題なので、結局、これらの問題も国家を持たない民族の再生によって意外と簡単に解決できそうな気がします。



倭国の国境も朝鮮半島南部でしたので、そういう古代国家を彷彿させる古代宗教文化を復活させていければ現代の紛争はある程度なくなると思います。ミトラ教などはキリスト教をはるかに凌駕していたユーラシア一帯を巻き込んでいた巨大宗教です。これをコスプレ文化みたいなかたちで世界中を巻き込んでいけば、全然違う世界が見えてきそうです。



今でもメイド喫茶がタイにあるようですが、これはある意味すごいことだと思います。この裏に何があるかと言えば、やはり古代の宗教だと思います。そういうのを無意識で焼き直すのが日本人の凄いところです。



歴史というのはある程度、美化しても良いと思います。”父親はギャンブルばかりで家庭を省みなかった”と言うよりは”ギャンブルばかりしてたけど子供思いのいい父親だった”と捉えるほうがよほど自分のためになります。ギャンブルをしていた父親という過去は変えることはできませんが、何を視点に過去を捉えるかは変えることができます。


大切なのは父親の過去ではなく自分たちの未来ですから、良いところを良いふうに解釈をして、良い未来を作っていくのが私の考える歴史学です。父親がどこのパチンコ店に行っていたかなんて聞いても仕方のないことだと思います。(ちなみに私の父親はギャンブルはしません)


その替わり、父親がどこで子供のためのプレゼントを買っていたかはぜひとも知るべき過去だと思います。どんな人間にも愛情は備わっていてそれぞれの想いで生きていますから、特に悪人とされている過去の偉人は可哀相です。


テルマエ・ロマエでもケイオニウスが即位した場合は、ハドリアヌス帝が神格化されなかったとのことですから、雄略天皇もこのような事態によって大悪天皇のように描かれたのではないかと思います。


それと幻の”宇治天皇”、このお方はとても重要だと思います。日本人で初めて漢字を書いた人とも言われています。そんなすごいお方なのですが、知名度も低いですし、歴史学における処遇は虐待かと思えるほどです。


例えば、AさんとBさんという方がいて、Aさんは賢く長生きしたとだけしか記載しない戦後歴史学はよく理解できません。


たとえ故人であったとしても平等に扱わなければならないと思います。自由と平等は生者にだけ適用すれば良いというわけでもなく森羅万象あらゆるものに対して透過させていくものであると感じます。


アイヌイオマンテもそういう意味においてすごいと思います。生者の世界と死後の世界が平等であります。先日、南宮大社に瓦塚がありました。これもイオマンテの一部。


敗者の美学、自由と平等の日本人美学、どちらも好きです。




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