コウとまりトキあらわる

kohya_hibiki+spirituality2012-05-25



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おはようございます。

トキの問題を書くと言っていましたが、昨日は書けなくて申し訳ありません。

たくさんの方にご訪問頂いているのですがプレッシャーになって軸がブレないようにできるだけ自然な形で進めさせて頂いています。

疲れは少しありますがブログランキングボタンを押して頂けると元気が出ます。

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馬車午のように働きます。



昨年の大震災直後にトキとまりコウあらわる記事を書きましたが、今回は逆です。

時計の逆巻きエネルギーが強いです。

富士山噴火、首都圏直下、原発直下、太平洋側プレートのプレッシャー。私の夢分析からも科学的エビデンスの予見からもある事態に向けての流れはより一層、確実なものになりつつありますが、多くの方のブレインは現状を維持したいがための無関心がはびこっています。

しかし私たち日本人が、ことに私たち新しい世代の日本人が世界に先駆けて、新時代の宣言をするためには、未来予測とそれに対する具体的対処・行動は欠くべからざるものです。


震災直後に伊吹山麓・泉神社と菊水泉等、まき時計の心臓部・米原周辺部の“水巡礼”を行ったわけでありますが、今回の南宮ワーク、それとは逆さ巻きでの巡礼となりました。



エビスが笑うと南海トラフが動くと一年前から予言していましたが、やはりナンクンの神は海神(湖千海)でした。



5年ほど前に始めたレムリアンリゾナンスはこの最終局面の事態を輝かしい未来へとつなぐためにはじめたものですが、民主主義が完全に根付いた共同体の創出、そして中央集権をスムーズに移行させるほどの哲学性とスピリチュアリティ、そして特に陸奥宗光小村寿太郎のような外渉能力のある若者が出てきていない、まずそれが出てくる土壌さえ作る状態にないという現実は私を何度も絶望させるに足る環境でした。


何度も日本人の可能性を信じ、そのたびに何度も絶望し、そして何度も立ち上がってきましたが、既にトキは満ちています。


できる・できないに関わらず超自然現象は私たちのもとに迫ってきます。<起これば信じ・起こらなければ信じない>という認知パターンは動物の認知パターンです。


我々霊長類が“霊長類である”と他生命に向かって堂々と宣言できるたったひとつの条件は「未来のために行動する」ということだけでしょう。

色覚を有し、緑色の葉の間から、さまざまな色をした果実などを見つけるのに有利になっている。
wikipedia:サル目

日本人ひとりひとりが過去を振り返り、自分がどうであったかなどとつまらない言い争いをするトキさえ、もうないのです。


関西に来てから二年、このような低次元の反発や抵抗にしばしば遭い、ウンザリもし、逆に才能ある方々に救われたりもしましたが、ロンギヌスの槍によって最後の審判が下されます。



現代日本人が欲する”愛されるために愛を語る”というのは世界的に見れば異常行動です。イチローがどうした松井がどうした本田がどうした香川がどうした、と日本のマスコミが挙って「日本人が世界で認められた」という自分のアイデンティティを他者に重ねて<愛された>というエビデンスを作ろうとする異常行動は、笑い話を通り越して、今では世界の人たちに利用され続けています。


アイデンティティを失って根を捜し求めている日本人の異常行動を集客力として利用し、チケット完売を達成する球団やクラブチームが世界に多数存在するということです。「日本人が世界で認められた」と喜ぶ日本人、内心は全く別のところにあり、pray for Japan だけを連呼する外国の人たち。もちろん純粋な気持ちで pray for を言ってくださっている人たちもいます。重要なことはそれを切り分けるだけの形而上学のレベルを今、現実に持っているか?ということです。


形而上学のレベルが上がればそれをジャッジメントするのも容易いですが、第二次世界大戦の影響からロゴス的な”語られる愛(民族として愛されるに足る哲学)”を拒否し続ける日本人。私から何も言うことはないですが、愛は愛される愛だけではありません。


特に西洋では、キリストの愛や神格が、どこにあったのか。血なのか、肉なのか、骨なのか、言葉なのか、について2000年前から議論が続いているので、私が書かせて頂いていることと共鳴する部分が多いです。そのロゴス的な”語られる愛”が世界一強かった戦前の日本、そしてそれが世界一弱くなった戦後の日本。

この圧倒的な乖離、この事実を伝えることさえ疲れるほどの現状です。神風特攻隊の手記を読んだことのない人、たくさんいると思います。わずか10代で国のために死んでいった祖先の手記に興味がわかないという心性は、ちょっと私にはよく理解できないです。

自分の父親が自分以外のもののために命をかけて戦ったという事実を知れば、何がそうさせたのかを知りたくなるのが生命体として普通の心性だと思われますが、実際そうではないという現状にも失望しきりです。


それが前述の異常行動と密接につながっているというのも重要なことです。愛されたいという異常行動が、父親(ロゴス)と母親(ミュトス)を知ろうとしない行為から始まっているという地点に到達しないのは、やはり家庭や教育制度に問題があり、その根源を突き詰めていきますとやはり地域社会(共同体)の崩壊が根になっているのです。


もちろんこの部分の問題意識も共有できていませんから、私のやっていることも私の言っていることもほとんどわからず、批判したり、怒ったり、抵抗したり、スタイルを真似て人気を得ようとしたり、たくさんの子供を抱えているような感覚で、本当に笑うしか対処方法がない状態なのです。


私がやっていることはバルセロナの監督が日本の中学校に来て、5年後にバルセロナと同じレベルになれ、と言っているようなものです。無謀なことは百も承知です。ただ、アジアのレベルが上がらなければ世界のサッカーが崩壊するという危機感があります。その危機を認識している・認識していないの違いで、バルセロナの監督が日本の中学校に来て、一体何をやっているのかを理解できるかどうかが変わってきます。


その前に未来を向いていなければ危機という言葉さえ湧いてきません。現代日本社会ではポジティブという言葉が現状肯定と同じ意味で受け取られる場合がありますが、真のポジティブとは未来肯定になります。つまり、未来を予測し、それに対する対処が現実に行われているという状態です。後手後手という素晴らしい言葉がありますが、現状肯定で生きていきますとすべてが後手後手になります。サッカーで言ってみれば”攻められっぱなし”の状態です。



攻撃は最大の防御というのは当たっています。先日、阿倍選手の記事をどこかで読んだのですが、攻撃の芽を摘む天才と書かれていました。攻撃をしながら相手の芽を摘んでいく戦法こそ最大の防御ですよね。


これを現在の日本社会に適用すれば、攻撃されっぱなし、やられっぱなし、という状態です。皆、ほんとにそれでいいのかよと思います。相手は誰でもない自分たち自身ですよ。ベンチにいる人たちが最前線で戦っている人たちの批判をしたり、足を引っ張ったり、邪魔をしたりしています。なんとかならないですかね、この現状。ここでも笑うしかないです。


そもそもベンチにいる人の中でも現実的な交替要員以外はなんのために試合をやっているかなんてわからない人たちが多いです。でもプロ意識が高くなればなるほど、ベンチ全員で試合を戦います。これが民主主義の芽ですよね。試合(政治)はA代表(政治家)が行うものと思っている人たちが多ければ多いほどベンチ(社会)の民主主義のレベルというのは下がります。


ただ私も人のことを言えた義理ではありません。中学校のトキは監督が恐かったのでやっていたし、高校のトキはたまたまレギュラーになったからやっていました。それ以外は全然、無関心だったので責められて嫌な想いもしたので無関心を責めるだけではそれほど現状は変わらないと思っています。自分で色んな人に出会って社会経験を積んでいくしかない、ただそれだけだと思います。



トキは逆にするとキト、キトサン、蟹ですよね。


カニレジェンドさんの今回のカードがソフィア。


フィロソフィアは哲学(鉄学)。蟹学問のロゴスと言っても良いかと思います。多くの生命は愛の泉に群がりますが、ロゴスは内側から愛が溢れてきます。語りながら哲の世界にトリップすると抱かれている感が非常に強くなるんですね。たぶんこれは文字を書き続けている人にしかわからない感覚だと思います。


鉄はキンコンカンコンうたれて固まっていきますが、そのうつ行為の中にも愛が存在しているということです。

愛(母親)が存在して愛するという行為が始まるのではなく、愛するという行為(父親)を続けることによって愛が深まっていくのです。

この部分はやはり、マリアの位格論争でもかなり議論された部分でもあると思います。

つまり、母親(マリア)という存在が愛の源泉か、あるいは、キリストのルーアハ(息吹・ロゴス・風)から愛が生まれたのか。

今回の南宮ワークも水と風の巡礼とも言え、もうひとつの松尾大社への巡礼もそうと言えます。その時に描いてくれたYMOのPちゃんのワーク画の前面にも水と風の文字が立ち上がっています。


松尾大社の奥宮・磐座、ゴーレム、、、息吹というのもその時に書きました。




“言ってくれる人がいただけ幸せ”という感情は、よほどの体験をし、内なる“聖”と繋がる人でないと湧かないでしょう。


ロンギヌスの槍によってトドメを受けたのはキリストでも聖書でもありません。Humanity、ヒューマンラブといった人類愛です。


人間は生まれながらにして霊長類になるわけではありません。人生において様々な体験をし、内側の問題を解決していくことによって他に対する思いやりや愛を増幅させていきます。


しかしその愛が、自分自身、自分の家族、自分が住む地域、自分が所属する国、などの枠を越えられなければ、それは単なるラブゲームで終わってしまいます。

ロンギヌスとは誰なのかを問えば、セクションラブに陥りやすい我々人類の心の閉鎖作用と言って良いでしょう。

我々日本人がアメノシタというトキ、ロンギヌスは存在しない。なぜならアメノシタには民族・宗教は関係ないからです。

槍は鉾となり、鉾は誇りとなり、誇りはヤチホコ(大国主)となります。

アメノシタヒトツ、天と海の間ひとつ、アメノマヒトツ。

日本人の心がヒトツになったトキに世界の危機は免れるでしょう。





愛と感謝を込めて




JAPAN  Love  アメノマヒトツ







昨年の震災の20日前にヴィーナストランジットの記事を書いています。来月6・6のヴィーナストランジットでは関西圏のとある金星の聖地へ伺います。場所を公開しますとメッセージ取りが鈍るので、問い合わせくれた方に詳細をお伝えしますので、ぜひ金星祭りご一緒できればと思います。震災と関連したカイラスメッセージにもおそらく解が示されると思います。金星だけに砂(スクナヒコナ)と枕(大国主)を持って行けたらなと思っています。金星がミカエルであり、ルシファーであり、センであるということもかなり書いてきましたが、時間があればリンクを貼らせて頂きますね。





記事を書き終わってふっとTVつけたらトキのニュースが、、自然界での38年ぶりの巣立ちということで、かなりリンクしていますね。天敵がカラス(ミサキ)というのもとても気になります。






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