甲山セレブリティ⑥ 〜 ヒラ・タイラ・ミテクラ 〜

kohya_hibiki+spirituality2012-05-08



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Aさんから『平』は、ヒラ(開く)とヘイ(閉)の両方に読める、と。

白鬚ワークで伺った滋賀白鬚神社のバックは強烈エナジーのヒラ山地。

そして、大阪茨木ワークで伺った耳原(ミノハラ)は幣(ミテクラ)の地。幣はヘイとも読みます。ミテクラは【貢ら】とも書きますから、“神に幣を掲げて捧ぐ”という意味になります。

生命のゆりかごである琵琶湖でヒラかれて、瀬田川宇治川を経由し、中瀬の茨木で一旦、幣を立て、淀川を下り、ミテ島・ヒメ島で西の太陽神に閉を立てる。

夕陽大神の祭祀、一体いつから始まったのでしょうか。


まるでそれはもうひとつの西に向かって開いた生命のゆりかご、地中海を連想させる。

かつてプラトンは『アトランティスヘラクレスの柱の向こう側にある』と言いました。

神官は、古来より水と火により人類滅亡の危機は何度も起こってきており、ギリシアではせっかくある程度文明が発達しても度重なる水害により都市とともに教養ある支配階級が絶滅してしまうため、歴史の記録が何度も失われてしまったが、ナイル河によって守られているエジプトではそれよりも古い記録が完全に残っており、デウカリオン以前にも大洪水が何度も起こったことを指摘する。また、女神アテナと同一視される女神ネイト (Neith)が神官達の国家体制を建設してまだ8000年しか時間が経っていないが、[6] アテナイの町はそれよりさらに1000年古い9000年前 (即ち紀元前9560年頃) に成立しており、女神アテナのもたらした法の下で複数の階層社会を形成し、支配層に優れた戦士階級が形成されていたことを告げる。

その頃ヘラクレスの柱 (ジブラルタル海峡) の入り口の手前の外洋であるアトラスの海 にリビアとアジアを合わせたよりも広い、アトランティスという1個の巨大な島が存在し、大洋を取り巻く彼方の大陸との往来も、彼方の大陸とアトランティス島との間に存在するその他の島々を介して可能であった。アトランティス島に成立した恐るべき国家は、ヘラクレスの境界内 (地中海世界) を侵略し、エジプトよりも西のリビア全域と、テュレニアに至るまでのヨーロッパを支配した。その中でギリシア人の諸都市国家アテナイを総指揮として団結してアトランティスと戦い、既にアトランティスに支配された地域を開放し、エジプトを含めた諸国をアトランティスの脅威から未然に防いだ。
wikipedia:アトランティス

ヘラクレスの柱は門神。このブログでもかなり追求してきました。

振った降った石神(意志の上) 開いたミサクチ ヤタガラス記事などをご参照ください。

中国・四国地方では主に石門別神、丹波から伊勢にかけては豊石窓・櫛石窓神、伊勢以東は主に手力男神。先日の上賀茂神社巡礼記でも触れました。

播磨の大国主が出雲に吸収合併されたという説がかなり強い説得力を持つように天の岩戸神話は各地の門神の吸収合併の神話とも言えます。



ジブラルタル海峡ヘラクレスの不滅の戈で切り開かれたとされていますが、甲山頂上からは地中に刺さった形で発見された銅戈の発掘跡が柵で囲まれて記念碑が建っています。

その柱のレリーフが何故か天使絵。青銅は酸化する前は金色ですから、ミカエルってことかな?だから蘇り?またしてもマイコー

紀元前3000年頃のメソポタミアでは、青銅製のメイス(戈のようなもの)が一般的だったようです。紀元前3000年と言えば日本では三内丸山遺跡あたりの時代でしょうか。


日本最初の戦傷人骨が発見された居徳遺跡が紀元前1500年あたりですから、メソポタミアの金メイスの文化が日本にもあったとするのは少し苦しいです。

その頃、中国では龍山文化が始まっており、青銅器文化がもたらされつつあったというのはとても興味深いです。


またこの頃、都市が形成されはじめ養蚕も開始されはじめたようなので土木の神さま秦氏のひとつの起源として龍山文化を考えるのも一興であると思います。


ヒラ・ヘイからタイラ(平)そして清盛、、甲山頂上で写真撮影した金の兜の話、夜の宴で乾杯した金のビオシャンパンの話など、書こうと思いましたがシンクロ起こり過ぎて止まらないのでまた別の機会に。

ドンストップマイラブをリンクしたいのですが今、携帯からなのでまた改めまして。

セッションでお待たせしている方々、発送をお待たせしている方々、申し訳ありません。

順に行っておりますので少しだけお待ちくださいませ。



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