平安テイクアテイクン③ 〜 斎王は馬レボリューションごっこ 〜


人気ブログランキングへ ←← 一日一ぽち、いつもありがとうございます^^



城南宮を出まして羅生門+東寺を経て上賀茂神社に到着!境内に入りますと、見事な桜が・・・

斎王桜というらしいです。斎王桜は満開で迎えてくれました。

その美しさに魅了されたので、しばし大暴れ。斎王桜の前にて皆で小TMRごっこをしました。満開を少し越えて、ちょうど散り始めるような頃合だったので、風で桜がヒラヒラと・・・鳳凰、風に舞う

Kafe*kamogamaさんでのランチの時には、2階のテラス席を貸切状態で使わせて頂いて、kくんアニメの上映会とともにテラス席から見下ろす素晴らしい鴨川の流れとおいしい食事を頂きましたが、川沿いの桜は残念ながらほぼ散っていました。なので余計に斎王桜の前では”あばれはっちゃく”でした。

『人間万事、塞翁が馬』ですね。チガウカ

イヤイヤ、境内にはたくさんのお馬がいました。ものすごいスピードでイケキシュの方が馬を走らせていましたよ。確か「競馬(くらべうま)」の発祥地ということだったと思います。

結婚式をあげている方々とも3組ほど遭遇いたしまして、平安・結び・神かも(may be goddess)、とも思いました。

ここまでのことを分析しますと、どうしても出てくる神山=兜、馬=軍馬のイメージ。やはり神功皇后なのかと思います。そして桜。

まさに、『神さま万事、斎王は馬』なのではないかと思います。

前回の朱智ワークでも高句麗がかなり出てきていましたし、コマの問題はかなり深いと思います。

確かに高句麗山岳信仰は山頂を踏破するようなものであったと私は理解していて、日本にあった山頂を禁足地とする山岳信仰と少しズレがありまして、その融合部分が、かなり前から気になっています。

山添村の神野山山頂にある古墳は、そういう意味においてかなり重要だと思います。

前にも書きましたが、そのコマの文化が、日本古来の山岳信仰を征服するような形で分布・発展していないような感じがしていますので、どこかにその巨大な理由と物語が残っていると思うんですね。息長氏は、その鍵を握る氏族であることは間違いありません。

もうひとつ重要なのが、日本の古代の馬にまつわる信仰は、ユーラシアのものだけでなく、ギリシャ神話や北欧神話らしきものも入っていること(これは多度大社巡礼記で書きました)

3つくらいルートがあったのではないかと推測しています。


この他に、山科ワークで導き出した藤原氏賀茂氏説ですが、上賀茂神社でその接続部分が面白く表れていました。時間があればまた改めて書きます。

〜☆引用と著作権について☆〜
出版物の著者の方は、引用する場合は引用元(著者/ブログ名/記事名)をご明記下さいませ。当ブログの内容を引用して古代史ワークショップを開催したり、メールマガジンで流用するなどの行為はご遠慮くださいね。個人の方については通常の引用で結構でございます。ご自由にどうぞ。