継体クリスタルキングダム② 〜 茨の冠 〜


最近あまり更新できていませんが、いつもたくさんの方にご訪問頂きまして恐縮です。ありがとうございます。HMTや個人セッション、その他色んな方々との才能を活かした活動等に参加させて頂いておりますが、専ら皆のサポートに入っておりますので、なかなか自分のメッセージラインを濃く維持していくのが難しくなってきており、アテナイ20を統合致しましてアイオニスで再リリースさせて頂きました^^本日<4.4>記念すべき獅子の日からのスタートでございます。

新しい認識自体が<”エネルギーが垂れる”タラの女神>の状態ですので、正式にセッションやスクールにお申し込み頂いた方々とより多くを共有するというのは自然の流れでございます。

HMTとあわせて今後ともどうぞよろしくお願い致します。


皆さんの変容とインスピレーションと知識のかけあいのレベルと幅が深く広すぎて、このまま続けていくとどうなるんだろうという気がしています。私自身もそうですし、私の知り合いは史談会とオルタナティブの中間を行くような人たちばかりなので自由な発想がすごいです。史談会は歴史学というよりはむしろ権威学なので、私はほとんど興味がありません。

この御仁をキリストと呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか(撮影可能な復元模造品です)。イクトゥスの装飾品を携え、茨の冠を被り、鳩の紋章を継承されています。私が言いたいのはキリスト教が日本を支配したということではなく、多神教であった原始キリスト教を八百万の信仰と習合させる高い宗教意識を当時の日本人は持っていたということです。

1000年後の日本人が東京の遺跡を発掘した時に、漫画が大量に出てくるから(漫画文化はアメリカが発祥であるから)1000年前の東京はアメリカ人が大量に渡来してきていたに違いないと推測するようなことが現代の歴史学では当たり前に起こっています。漫画で表現されることが現代の表現形態を用いながらも日本の恐ろしく古い価値観を引き出しているという本質に気づくならば、様々な文化が伝来していた古墳時代にその文化の出所を突き止めそこから渡来人がやってきたという部分に必要以上のエネルギーを費やすのはもはや歴史学ではないと思います。

大切なことは当時の日本人の想いを知ることであり、何を感じ、何を考え、様々な装飾品や芸術を残したかということです。茨木に茨を連想させるものがあること自体が驚異的です。

日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産である。古くバラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌がある。『常陸国風土記』の茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、茨城県の県名の由来ともなっている。wikipedia:バラ

古代の人たちはそれを意図し、名を名づけ未来に思いを馳せていたのです。茨城県の人にイバラギと言ったら怒られます。こんな話もあります。茨城の友人が神戸に来た時に『イバラキから来ました』というとあるお店の方が私は高槻です、みたいなことを言っていました。関西でも皆、茨城をイバラギと思っているのかもしれません。

wikipedia:茨木市の市章は鳩で『次』という字を描いています。草は古代、太陽でしたので『茨』は、太陽を継ぐものという意味になります。よく考えてみてほしいのは、現代に生きる私たちは茨の冠がキリストを表すことを知っていますが、当時の日本人がどうして太陽を継ぐものの象徴として茨の字を用い、なぜイクトゥスを携えているのでしょうか。しかもはるか熊本県から運ばれた薔薇水晶ローズクォーツ)のようなピンク石の石棺に埋葬されたのでしょうか。

そしてピンク石は馬門石(まかどいし)と呼びます。うまら(茨)と馬だ(笑)

”彼らは知っていた”と想定する以外にどういう結論を出すのかがわかりません。

wikipedia:エフェソス公会議が431年で継体天皇が生まれたのが450年頃とされています。ヲホド大王が成長するに伴ってネストリウス派文化が黒潮経由で日本に伝わっていてもおかしくはありません。インドのwikipedia:トマス派ネストリウス派に起源を持つとも言われているので、黒潮経由のネストリウス派を想定するのは、そんなに難しいことではないと思います。想定外を主張するのは東京電力だけでなく戦後の人たちの知能限界の因習なのです。私たち世代の手で変革していかねばなりません。


ジャパンフラッグ 持とう ひとりひとりの心から

マイコーフロッグ 還そう あるべき太陽に

〜☆引用と著作権について☆〜
出版物の著者の方は、引用元(著者/ブログ名/記事名)をご明記下さい。当ブログ記載の事柄は引用以外は全てオリジナルですので、孫引きなどもご遠慮下さい。また当ブログの内容を引用して古代史ワークショップを開催したり、メールマガジンで流用するなどの行為もおやめください。個人の方については通常の引用で結構でございます。ご自由にどうぞ。