泥から咲く蓮 〜 真の随神道 〜

<行動できないこと・行動しないこと>を自己正当化する場合、人間は、より楽で安易な考え方を選択します。例えば<すべてが愛で満たされますように・幸せは身近なところから始まる>などの考え方は国家に適用しますと、より多くの不幸をもたらします。

震災直前の昨年2月に上関原発に関わることで原発推進者とひと悶着ありましたが、推進者は愛・平和・利権によって茨城県東海村は潤っていて安定していると言っていました。そのような方々がどのような目に遭ったか言わずもがなです。より大きな愛が広がっていくことを望むのならば現地に行ってマザーテレサのように実際に人々を救ってみれば良いです。現地に行き、家族を失った現地の人々に『幸せは身近なところから始まる』と言える勇気があるのならば、その思想を選択しても良いでしょう。残念ながら私は口が裂けてもそのようなことは言えません。

自分の親戚が家族を失くした時、『幸せは身近なところから始まる』と言うのでしょうか?私はその悲しみに同調し、涙するのが普通の人間のあり方だと思います。そしてそれが理不尽な事故によって起こったものであれば、2度とそういうことが起きないように、そして2度と同じ過ちを繰り返さないために努力するのが普通の人間のあり方ではないのでしょうか?実際に今、そういうことが世界最大規模で起きているのです。しかもこの狭い島国の日本で、です。

そういう普通のあり方を遠く離れた人々に対してできないのは想像力と愛を失わせる個人主義という自我ブロックが戦後、発達したからです。それを私は無限ループとか自己正当化とか呼んでいます。ひとつの民族としてまず日本人を捉えられなければ世界平和などあり得るはずもありません。なぜならば世界平和とは民族を超えてすべての人を家族とみなすことであるからです。

悪いことは起こっていない・見たくない、そしてそれを引き寄せたくないと考えて逃げることは簡単です。そして人間とは本来、そういう弱い生き物です。しかしその『弱さ』を肯定すれば、最も弱いものを犠牲にすることになります。それが今の日本の本質的構造です。

今日の記事で原発利権が何によって生まれ、そして何によって助長されているのかを知ることができると思います。善を標榜する大多数の一般の人たち、そして部外者意識、歴史誤認、マスメディア洗脳、個人主義ブロック、無限ループ、拝金主義、これらはひとつの根から出ている”センゴ”という文化文明です。それを対象化する作業が必要です。

東京の電車内、都合の悪いことが起こったら見て見ぬふりをする、自分に火の粉が降りかからなければ「あ〜良かった」と胸を撫で下ろす。そういう人たちは悪事を見ても私は引き寄せないから大丈夫、心配するフリをして実際には何も行動しない。そこに全てが顕れているでしょう。東京だけではなく全国的にそうです。自己正当化の波は本当に大きい、それが巨悪となり、子供たちに降り注ぐ。行動できないものたちは口々に言う「ワンクリック募金しました、愛を送りました・・・」そんなこと現地の人たちは求めていませんよ。事故の原因を究明し、責任者を罰し、早く未来へと進みたいのです。電車内で倒れた人に多くの人が(起きてください、起きてください)と目を閉じて両手を合わせて祈っています。

歩み寄って抱き上げなさいよ、人間ならば。そこにしか愛はないでしょう。



トキとまり コウあらわる

一年のトキを経て 扉 再び開かれる

怒り 向けるでない 蔭の日向に

自らの信ずる道に 功を投じ 光となり

公となり 酵となる

迷うべき衣は 羽織るべき主を探し

いつか かかる 干しとなる

あをによし やまとのくには

やほよろついの みなとなかりし




今回の人災で政府に対する憎しみ・東電に対する恨みを持っている方も多数いらっしゃいます。真の愛とはそのような人々の想いに添い共に涙することです。原因を究明し、罪に対しては罰を与え、亡くなった方々への慰霊としなければなりません。なんの罪もない人が家族や家を失い路頭に迷っているのです。もし愛や平和を謳うことが真の平安につながるというのならば仏教が興った国・インドがなぜそうなっていないのですか?何百万人・何千万人と愛や平和を説き実際に行動した我々の先祖・鎌倉仏教者たちがなぜそれを成し遂げられなかったのでしょうか?現代日本人はあまりにも未熟でありますし無知であると思います。そして先祖に対して失礼です。

我々の宗教者としての先祖は戦国の世において、何よりも心の平安が大切であると説き、武士とは違う世界を目指し行動しました。その行脚の中で命を落とす方も多数いました。愛が広がるというのならば自分が福島まで広がっていき、人一人を救えるかどうかを試してみれば良いのです。それができなければ全てが幻想であるし”偽”であります。”偽”を”義”に替える為にはなによりも行動が大切です。自分の殻に閉じこもらず日本人として愛すべき未来とは何であるのか。真剣に考えてみる必要があるでしょう。

wikipedia:光明皇后が素晴らしいのは愛や平和を説いたからではなく、愛や平和の思想に基づき貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」を設置して<行動>を興したからです。曲がりなりにも大和民族の末裔ならば、この先祖を称え、その行為に恥じないような<アクション>を興さなければならないでしょう。現在は国難です。南海トラフが動けば日本はジ・エンドです。または福島原発4号機プールが壊れてもジ・エンドです。しかしこの2つの事象は近い将来、必ず起こります。それをジ・エンドにさせない唯一の方法は、国民ひとりひとりが当事者意識を持つこと。その第一歩が、行動できないことを自己正当化する<スピリチュアルごっこ>呪縛から脱することなのです。そこから仮想現実(ヴァーチャルリアリティ・疑似科学)に浸る行政を廃し、社会起業家群を増大させ、拝金主義という新興宗教を広めたマスメディアを糺していく。これが日本と世界の幸福を広めていく真の愛と平和の道です。

祈りとは行動です。愛とは行動です。感謝とは行動です。言うだけで現象世界が変わるのであれば手も足も必要ないでしょう。神が与えてくださった手足に存分に感謝できているのであればこの今から行動できるでしょう。そして同胞が苦しんでいる時に口だけでは何もならないことを悟るでしょう。動けないのは感謝と内観が足りないからです。その不足を自己正当化で補っても仕方ありません。不足は足る(タラ・女神)によって満たされるでしょう。つまり「自分は活かされている存在に過ぎない」という巡り(女神理)です。それを深く認知している人間は身体が自然と動きます。頭ではなく魂が知っているからです。その魂の巡りを知らないからこそ怖れが生じ、その怖れを自己正当化するために愛の誤認が生じます。スピリチュアルクラウドから目覚められ正しき道に進まれることを心から願います。


当ブログをご覧頂いている方々には、真の愛マスターになって頂ければと思います。自分の殻に閉じこもり、自分が行動できないことを自己正当化するような人にはなってほしくありません。なぜならばそのような自己正当化をしても”逃げ”に変わりはないからです。そしてその”逃げ”ている人が多いからこの国はいつまで経っても未熟のままなのです。

言うことは自由です。洗脳されることも自由です。しかし真理はそんなに多くあるわけではありません。極限の状態の人間の前で本当に力を持つ言葉。それが”真理”です。家族を失った直後の人に”愛を広げていきましょう”とあなたは言えますか?それが言えるのならばあなたの勇気は本物でしょう。ひとりの人間が癒されていくには時間が必要です。それは部外者として愛を謳うのではなく当事者として恨み・憎しみに寄り添うこと、それが一番大事なのです。それが【シェア】です。愛とは泥の中から咲く蓮です。泥を知らない人間が愛を語ることはできません。美しくないし華が咲きません。華を咲かせたければ自分の身を泥に投じることです。それが<行動>なのです。


HMTの方々は日々参加し行動・シェアされていますのでもちろんこの限りではありません。ゆっくりとお進みくださいませ。また自己の癒しを行っている方々もこの限りではありません。社会のことよりもご自分の癒しをぜひ優先されてくださいませ。


表面的な愛ほど偽善なるものはありません。ヒーリングとは真の愛です。エネルギーは嘘をつきません。怖れから取り繕った愛か自らの体験(泥)から手にした真の愛か、すぐに判明します。愛の形はたくさんあると言っている内はまだまだ泥の体験が足りないでしょう。至高の存在にそれほどの多様性はありません。本物とは何か?それは常に恐れられるものであり、怖れるものです。神々に対する畏敬の念とはそういう情念です。怖れられないすんなりと入ってくるもの、逆にそれは下級霊である場合がほとんどです。真実の随神道に是非お進みくださいませ。

【受容】とは変われない自分を正当化するためにある言葉ではなく、他者の痛みや苦しみを受け入れるためにある言葉です。


HMT遠隔マスターグレードの募集は来週の春分の日を以って締め切りとさせて頂きます。現在参加してくださっている方々だけでかなり深いシェアになりつつあるので残り1名さま枠で3月20日までの応募締め切りとさせて頂きますね。気になっている方がいらっしゃいましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。