昇り詰める階段 上昇思考 〜 Turn up around 日月星 〜

日本神話の神の世界を語ることがニッチな世界だと考えている方もいるかと思いますが、戦前の日本では、ほぼ全員が日本神話を理解していました。それはひとつの国家として普通のことです。むしろ今の日本の状態が異常であり、私たちの世代はこの状況を普通の状態に戻すべく今、変革を成し遂げなければならないのです。

神話世界をニッチの世界と考えていること自体が受け身であり、無限ループであります。不名誉な現状を肯定するよりも名誉ある未来を創造するために口と身体を駆使しましょう!変えられない現実は、動き出せなかった今日に依存します。動き出せなかった今日を自己正当化することによって不確かな未来への怖れに捉われます。現代日本人の無限ループはほとんどの場合、現実的行動に訴えかけられない<弱さ>にあります。その<弱さ>はアメリカから”間違った個人主義”を輸入したことが原因です。アメリカの個人主義は補完的役割として教会やホームパーティ文化が存在しますが、戦後日本社会は個人主義の一側面だけを輸入し、拝金主義を自己正当化しました。その負の連鎖が現在の状況を生み出しているのです。意識的に変革していかなければ状況は悪くなる一方です。このようなことを行政が変えられるはずがありません。私たちが自分たちでなんとかしなければならないのです。

二十歳を過ぎれば大人です。余裕のある方は少し自覚を以って取り組みましょう。現実的に弱いものが犠牲になる社会構造が完成されていることに目を向けましょう。特に司法・行政・立法の三権に関する癒着と談合は国の根幹を揺るがしている由々しき問題です。本来であれば大学を卒業すれば三権分立が犯されているという現実を認識できるようにならなければならないのですが、99・9%の人がこの問題に気づいていません。この原因は昨日も言及しましたメタフィジカル形而上学)力の低下に端を発してます。だからこそその力を国全体として取り戻さなければならないのです。

二十歳になっても日本国憲法を理解していない人が数多くいるということ自体が非常に由々しき問題です。憲法は権力から身を守るために作られた唯一の防衛手段です。法を作るからこそ武士は刀を捨てました。法の本質を知らないということは丸腰で戦場に赴いているようなものです。いかがなものでしょうか。ひとりひとりが自覚を持って世界の常識と同じレヴェルで自己変革をしてもらわなければ国全体が変わることなどありえません。政治は国民ひとりひとりのレヴェルを投影する単なる装置です。


スピリチュアルの世界では、間違ってカルトのほうに引き込まれていく方々も多くいますが、それも経験であると思います。私のところにはそういうグループで危険な体験をした方々が多く集まってきてくれます。

真理とは自らの体験によって獲得していくものですから、私がここでいくら本質を説いても自らが実際に危険な思いをして痛い目に合わないと本質や真理の大切さ、真実性は理解することができません。

エネルギールーツに敬意を払わない人々はダークサイドに堕ちていきますし、シャーマニズムを専門的に高めていない方々がたまたま神社に行って、そこを開闢させることなどとてもではないですけど不可能です。それほど古代の巫女たちのシャーマ二ズムの世界は深遠です。聖地と内面の問題は直リンクしています。

土蜘蛛と呼ばれた古代大和の女首長集団の日ノ本に対する愛はすさまじいものがあり、またそれを封じた朝廷のテクノクラートたちの才能も想像を絶するものがあります。

そういうシャーマニズムのバックボーンを知らない方々がWebで仕入れた大地の流れと呼応してピンポイントで開闢ワークを行うことは大変なリスクがあります。私も数ある巡礼ワークの中で倒れた方が何度もいました。

なので準備ができていない人を深いワークには誘えないですし、その対処方法について冷静に聞ける段階になっていませんとwikipedia:巫の才能を持った方は意識が錯乱状態になる場合があります。

クリスタルと同じで聖地は光も陰も増幅する機能があります。聖地によって振動数(ヴァイブレーション)が違いますので、その振動数に反応するのは個人差があります。そしてその反応が、ライトサイド(光側)に向かうのかダークサイド(陰側)に向かうのかはその時点での精神的段階と状況に拠ります。それを事細かく語れるのがサニハ(審神)です。

一般的に言いまして、この部分を明確に語れない人はエネルギールーツが他にあり、そのエネルギールーツを明確にできてなければダークサイドに堕ちていると言っても良いです。エネルギーパイプとはルーツに対する感謝と敬意であり、それが自我ブロックによって実践できていなければいくら口で先祖を敬っているとは言いましても先祖を敬うエネルギー実践はできていないということになります。

神道とは実践の道ですから、受け取ったものに対しては感謝と敬意の宣言をしなければなりません。スピリチュアルクラウドが強い人は、この真理を魂で理解していないのでこのような文章を読みますとネガティブな反応をする方が大半です。しかし、自我ブロックを超える感謝と敬意こそ思考の無限ループを脱する実践道への入り口なのです。

意識の高い方々は、まず自我ブロックが消失しています。私も20代の頃は様々な場所に赴き、「帰れ」と言われても殴られても蹴飛ばされても頭を下げて学ばせてもらいました。そういうことを体験したことのない人は無用な自我ブロックで時間を浪費してます。

絶対的な真理があるわけではなく、日々の実践によって、より真理に近い遠いかの距離的問題が生じるだけでございます。なのでそこに優劣などなく早いか遅いかだけの問題でもあるのです。自我ブロックが厚い人は延々と自分が真理に近いと空想する傾向が強いため一向に真理には到達できませんが、自我ブロックを今日消去した人は、その道程がとてつもなく長いことを知ります。<差>を認識するのです。

どのような道でもそうではないでしょうか。自分が強い強いと思っていても1対1で戦ってみれば自分の思い込みがどれほど未熟であったかがわかります。<腕の差>を認識することこそが逆にマスターへの最短距離なのです。最澄空海に教えを請うたというのは本当に素晴らしいことです。自分の立ち位置を感情的問題に捉われずに正確に捉えることはどのような立場にいる人にとっても素晴らしいことです。

現代社会には<誤魔化し・嘘・居直り・虚栄・自己満足・欺瞞>など、、、真理とはかけ離れたものが数多く存在します。直(なほ)とは、そのような精神構造を真っ直ぐに糺すことです。このようなことは明日からではなく今日から実践できます。これは誰かのためではなく結局は自分のためになります。その総和が国の雰囲気を作っていくのです。結果には必ず原因があります。

ただそういう道を求めるか、求めないかは人それぞれの自由であります。人は常に赦される自由を求めており、主体的自由とは違う段階にいる時、あるがままの状態を選択します。神道がいくら実践とは言いましてもあまりにも突き詰めすぎるとしんどくなりますので踊り場・オチが必要になります。昇って堕ちる・昇って堕ちる、、欠けて満ちる・欠けて満つる、、このような反復作用が必要です。これこそ<日・月・星>の反復作業なのです。

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