世界は広い 内側にも無限の源泉真名井

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人間は自分を守ろうとする時、何かを用いて抵抗しようとします。男性性が強ければ直接的な批判・否定を用い、女性性が強ければ遠まわしな批判・抵抗を試みます。しかしこれは単に強弱の問題だけであって、本質的なネガティブループに他なりません。

女神性というのは自分と異なる意見を受け入れる・受容するということであり、これが民主主義の根本ともなります。戦後日本社会がGHQを含めた外国人部隊によって非民主主義社会に陥ってしまったことはまことに残念なことであります。

生まれながらのマスターたちは、その抵抗している自分を冷静に分析し、光の覚醒へと昇華させます。一方で一般の方たちはその抵抗している自分に捉われ無限ループに陥り、無限ループがゆえに自分を少しでも認めてもらえる場所・愛してもらえる場所を探し続けます。スピリチュアルの入り口とは上記の自分の状況を冷静に分析し、自分と向き合うことになります。

これも一般的には日本では言及されないことです。ほとんどの人が認められたいがゆえに愛されたいがゆえにスピのメディアを変質化させ霊能力や超能力が素晴らしいなどというオカルトな雰囲気を作っています。政治の状況と同じで国民ひとりひとりが変わらなければ全体は変化しないという真理を如実に表しています。

地方に行けば行くほどせせこましい小競り合いがありますが、私にとってはどうでも良いことです。限定された市場の中でパイを奪い合うことなど男子がやることではありません。男子ならばいまだかつてない市場を創造してこそです。世界は広いですし、考え方は無数にあります。



HMTに参加してくださっている方々や、これまでスクールに来て頂いていた方々は本当に意識が高くて、私自身何度も勇気付けられています。そういう意味において私は感謝すべき立場と状況にいると実感しています。



私が目指している国家ビジョンはwikipedia:石原莞爾の「都市解体、農工一体、簡素生活」に近い考え方が半分含まれており、現代日本人がメタフィジカル形而上学)のレヴェルを戦前レヴェルにまで回復させれば、それらの考え方を理解することができますので、私は現在の仕事を通じて日本人ひとりひとりの無限ループの解除を推進させて頂いているわけでございます。


少し前に書いた『許し』に関することですが、感情体に訴えているのか、論理体に訴えているのかをまず切り分ける必要があります。人を赦せないという想いはすべて感情体に訴えかけている自分を赦せていないことから始まる感情の問題です。

一方で権力に対してユルセナイという感覚を持つ場合、大別してふたつの感覚を出所にしています。ひとつは先の事例のように感情的に政府の対応や政策に反応しているパターン。もうひとつは論理的に許されないことを指摘する場合。

我が国は法治国家ですから、法を破れば罪に問われるのは当然のことです。

全体性(holeness)と個人性というものを考える必要があり、個人性のレヴェルではすべての事象は赦されています。これがfogiveness。一方で人間が集団となって全体性を維持していくために許されないことがあります。これがpermissionです。

他を赦すことができないという感情的問題は、感情的な手続きによって解決されていきますが、許されない行為を犯した人を罪に問うことは論理的国家的手続きによって解決されていきます。感情的問題に捉われている人々は、赦しと許しの違いがわからず犯罪を犯した人たちをも赦しの対象としてしまうパターンが非常に多くあります。

しかしながら日本国は法治国家という形態を選択しているわけでありますから、もし罪を犯した人間をも赦すというのであれば、自らが法治国家を選択しないという宣言をし、この国をそのような国に替えていくための現実的行動をしていなくてはその発言に信憑性は全くありません。

このような非論理的・非合理的思考回路を無限ループと呼びます。

アクエリアスの時代に突入するとは言いましても、それをひとつずつ変えていくのは私たち人間です。次世代への明確なビジョンを持ち、制度上の問題をひとつずつ変革していかなければその夢のような地点に到達することは不可能です。

ただひとつ言えることは、我々の先祖は不可能と思われるそのようなアクロバットな歴史転換を何度も行っているということです。

無限ループから今日抜け出し、明日のマスターになるためには、内側で抵抗している自分を客観視し、それを赦し、それに捉われることにさよならすることです。

登り詰めることは一日ではできませんが、手放すことは今日、できます。すべての入り口はそこにあるのです。

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