住吉大社巡礼記_6
まだまだ続きます住吉大社巡礼記。。ざくざくと面白いものが出てきますね。
南に位置する細江川が住吉の津であったと考えられているようです。つまり、港ですね。社殿が夕日に向かっており、これは大山祇神社と同じなので、直観から述べますと西に向かって羽根を広げた大鳥型の社殿配置の造りになっている、もしくはなっていたのではないかと思いました。
御霊神社に行った時に東宮が気持ち良いのは、おそらくこの文化(大鳥型の社殿配置を作った人たちのフェニックス信仰)がベースになっていると思います。住吉大社と御霊神社の古層を結合させるだけですごいものが見えてきます。これには蹉だも関わっています。
住吉大社南の大和川が付け替えされて300年。大阪市の地図がわかりやすいです。ほんとにすぐそこまで海が迫っていて、上町台地眼下の港町という感じですよね。おそらく大阪湾内の小島は住吉以北に集中しており、西に視界が広く開けるのが住吉大社を起点にして以南だったということではないかなと感じました。
ただ、海人族の拠点は膨大な帆船を停泊させておく内湾と風待ちの地形が必要なので、今はまだ地政学に基づく勢力判定ができない状態です。
しかし、御霊神社の円神や西宮の円型の内湾を鑑みると先住系ヤマト(矢的)文化は大阪湾一帯に残っているので住吉大社にも残っていると思います。おそらくは南の仁徳天皇陵と大鳥大社が鍵だとは思います。
狩りから稲作へ/レキシ
縄文も弥生もどっちも好きですね。
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