紅葉で高揚するかな甲陽が 秋の喪葛となりにけるかも

昨日の続きでもありますが、甲乙丙などのwikipedia:十干も重要です。甲が陽数で乙が陰数で2つとも東を意味します。それぞれ五行では木の要素を持っており、木の兄・木の弟と呼ばれます。甲山の山麓甲陽園という地名がありますし、甲子園などもこの十干と関わっていないと考えるほうが不自然であると思います。

鴨が甲の鳥と書くように、おそらくは鴨は【日はまた昇るフェニックス】の隠喩であるとも思います。その次が竜宮城の乙姫。両者とも失われていますよね。神呪寺の寺紋は桜です。不二あるところに桜あり。桜あるところに鴨居つく。夙川は桜の名所。なぜ、甲山周辺部に賀茂の痕跡がないのか。その代わりに厄神がいる、そして人麻呂の隠喩がある、打出の小槌がある。これは何なのか、、最大の関心事です。

火気厳禁と言いますが、むしろ柿厳禁ではなかったか、、

「柿が赤くなると医者が青くなる」ということわざもあるように石上神宮でも開いた柿の末広がりの隠喩が、より濃くなっていると感じます。

柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺正岡子規wikipedia:カキノキ

wikipedia:正岡子規は何か知っていたのではないかと思う。

やっぱり気になるwikipedia:猿丸大夫。赤城の神ともつながりがあり、【秋/明/赤】は、人麻呂の隠喩が濃い。明石に彼の墓があるのは、そのような深い意味がある。茹でると赤くなるタコタイエビの問題は深い。

茹でるには湯が必要。湯は火と水の融合。サニハや誓約の一種のwikipedia:盟神探湯は有名。正しいものは火傷を負わないとされていたが、イザナミは火傷が元で亡くなった。イザナミの神明裁判とは何だったのか・・

wikipedia:蘇我赤兄は土佐の秋(安芸)土着人です。中原秋通は甲斐源氏wikipedia:一条忠頼の嫡男。源頼朝によって土佐に流されていましたが父・一条忠頼が戦死すると土佐に土着し、なぜか蘇我(香宗我部)を名乗り始めました。この子孫が織田信長と長宗我部の日ノ本分割統治同盟の調印を進め、その証(明石)として『信』の字の交換が行われました。しかし、武田征伐-四国征伐へと駒を進めたため、武田勝頼が香宗我部の元に敗走し、土佐一条家・美濃一条系・甲斐一条系が藤原北家を防衛するため関白・一条内基と共に義を貫いたのが本能寺の変の内幕になります。

自由民権運動板垣退助も一条忠頼つながりで甲斐源氏を称していましたし、wikipedia:岩崎弥太郎の三菱紋も甲斐源氏の4つ菱紋からヒントを得ています。つまり甲斐源氏のルーツを持っているということです。ただ、これを辿っていきますと神功皇后の4つ菱紋を甲斐源氏が使用する許可を得たということであるので、もっと奥には深い深い糸の絡み合いがあります。武は武内宿禰であるわけですし、子はwikipedia:葛城襲津彦であります。坂本姓も実は葛城襲津彦が祖です。つまり、弥太郎も竜馬も葛城であるというわけです。多家・坂本神社(玄松子さん)それもそのはず桂浜は月と桂の葛城の浜なのですから!

この桂浜から内側に入った子宮型牛頭天王内湾の中央には玉島という神功皇后伝説の島。既に4つ菱紋の隠喩は神功皇后伝説の頃から存在し、葛城一言主も土着していたのは明白。日本書紀編纂時に高鴨神がいたのは一体どこでありましょうか。そこに設定せざるを得なかった意図はどこにありますでしょうか。その意味を問えば葛城王国の真の姿が見えてくるでしょう。

wikipedia:甲陽軍鑑天晴れ!



秦 基博 / 鱗(うろこ)

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