飛鳥(とぶとり)の 先に見ゆるは飛ぶ兎 兎と亀でウ☆カ・ミタマ

あまり時間がないので少ししか書けないかもしれませんが、wikipedia:飛鳥の語源についてでも。

以前から何度か触れていますwikipedia:長髄彦ですが、トミノナガスネヒコと言います。

それと前々回触れたトトヒ(鳥飛び)

四国の台地上山上尾根で築かれていた高地性集落群が鳥葬の文化を持っていたのではないかという知り合いのある歴史家の意見

個人的に子供の頃からwikipedia:コンドルは飛んでいくwikipedia:太陽の子エステバンが異様に好きだったこと。

wikipedia:長江文明にも鳥と太陽の文化が存在すること。

水鳥埴輪(47ニュース)が異様に気になること。そしてそれがwikipedia:応神天皇と深い関わりがあること。その応神天皇が河内王朝の始祖であり、河内飛鳥というものが存在すること。wikipedia:大鳥大社和泉国一之宮であること。

ヤマトタケルが白鳥伝説を持っているということ。ヤマトオグナ(タケル幼名)が応神天皇と重なること。鳥の幼名・ヒナが雛祭り/流し雛と関わっていること。個人的にフェニキアフェニックスにルーツを感じていること。『日はまた昇る』がその不死の鳥に関わっているということ。不死は富士であり、富士が藤であり、不死身の藤原が中臣(中飛び)であること。山科の中臣遺跡は完全に浮島の中飛びの遺跡群です。

葛城の語源が鳥ではないかということ。

wikipedia:鳥之石楠船神饒速日尊伝承の天磐船(あめのいわふね)ではないかということ。

神武天皇イワレビコ)は塩土老翁から、東方に美しい土地があり、天磐船で先に降りたものがいると聞く。そして彼の地へ赴いて都を造ろうと、一族を引き連れ南九州から瀬戸内海を経て東へ向かい、難波碕(現代の大阪)へたどり着く。その後河内国草香邑から生駒山を目指す。そこに土着の長髄彦ナガスネヒコ)が現れたため戦うが苦戦する。wikipedia:ニギハヤヒ

ナガスネヒコとの戦いでは、戦いの最中、金色の鵄(とび)が飛んできてカムヤマトイワレビコの弓の先にとまった。金鵄は光り輝き、ナガスネヒコの軍は眩惑されて戦うことができなくなった。wikipedia:神武東征

古来より太陽を表す数が3とされてきたことに由来するとする見方は、宇佐神宮など、太陽神に仕える日女(姫)神を祭る神社(ヒメコソ神社)の神紋が、三つ巴であることと同じ意味を持っているとするとされる。wikipedia:八咫烏

鳥トーテムが橿原神宮以前であることは明白なので、神武天皇がヤタガラスというミサキの導きを得て神宮入りするのはどこかやはりおかしいです。少なくとも山科京(仮)では西の秦氏と東の物部氏が融合しているので、天智朝まではヤタガラスと物部氏は対立関係、あるいは裏切りの関係にはなかったのではないかと思います。鳥トーテムだけに焦点をあわせれば、東征そのものが存在せず、ニギハヤヒ神武天皇となります。つまり、日本書紀お得意の同士討ちが創作されたということです。これと同じようにヤマトタケルとヤマタのオロチも同一人物だと考えればなるほど、全ての辻褄が合います。タケルは竹が生まれる竹生島のようなカンナビのオロチ山・モン・サン=ミシェルを意味しているということです。以前より竹の島は、羊水に囲まれた太陽の子・ヤマトオグナの島であるということはお伝えしています。




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