三つの輪 水の美和明神 大神(オオミワ)として顕る

テキストを作成しているので、今週いっぱい少しブログUPが滞るかもしれないと思いつつ、書いています。

少し気になったのが、笠置山に行っていた日曜日がちょうど十三夜だったということ。

九月十三夜 八月十五夜の月に対して「後(のち)の月」と呼ばれる。十三夜は日本独自の風習と言われている。ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月(まめめいげつ)または栗名月(くりめいげつ)と呼ばれる。江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」で縁起が悪いと遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行なうために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。

十三の月のインスピレーション、そして虚空蔵菩薩の十三詣りへとつながります。

道すがら栗を拾いましたし、帰りに天比古さんのインスピレーションで駅前の栗栖天満宮にも寄りました。ちょうどお祭りをやっていました。その後、桃山を経由して1次会へ行っていましたし、桃と栗の問題はとても深いです。岐阜のとある桃山には栗の名が冠せられた神社があります。月の力と栗が関係してくるラインというのは、九十九であり、ククリでしょう。

つまり、北陸の謎のホワイトウッドサークルは、巨大な白いクリの木で建てられており、縄文晩期に既にククリ=シラヤマ姫の原型ができていたことがわかります。縄文時代が月の文明であれば、ひょっとすると十三はその頃から文化かもしれないです。

それと栗栖は国津や葛も意味していますので、【岩に棲み付くクズ】たちと『記・紀』で揶揄されて討伐された人たちこそ、私たちの本当の先住民族なんですね。それは九頭竜でもあります。

大和高原入り口『葛神社』

岐阜話が出てきたので、ついでに言うと美濃は紙で有名であり、紙は神ですから、美濃のミは”美”と言われますが、おそらくは神の意味もあったのではないかと思います。それは大神神社をおおみわと呼ぶのと同じです。そうすると箕面は<神の尾>ということになり、先日レポートしました六甲山の神呪寺(かんのお)や、交野市の<甲の尾>とほぼ同じ意味になろうかと思います。

つまり、六甲山系最西端のカンノオ、生駒山系の最北端のカンノオ、そして北摂山系の最南端のミノオが、全て同じ思想に基づく同じ呼び名で呼ばれていたということになるわけでございます。

ここに三つの輪の美和が出てくるわけでございます。三輪は高知においても天石門別(玄松子さん)を意味しますので、笠置で感じた天石戸別エナジー箕面へとつながってきたのかもしれません。女性陣のそのインスピレーションには驚かされます^^

今、検索かけたらびっくり!柳生の一刀岩は天乃石立神社という神社の境内にあって天石門別を祀っているんですね。シンクロが止まりません。


人気ブログランキングへ

Visionary ONE ホームサイト

Visionary ONE 携帯版
ぽちっと押して頂けますとうれしいです*^^*