9.11に寄せて

あれからもう10年も経ってしまいました。

何を変えられたかはよくわかりませんが、何かが変わっていくきっかけを作れていればうれしいですね^^

昨日は、琵琶湖の竹生島に行ってました!


長浜からこんな感じで竹生島に向かいます。結構、遠いです。30分かかります。
(写真はフェリー乗り場にあります絵から引用)




フェリーは大きくてきれいです^^すごい人でした。




竹生島に向かうフェリーの後方には伊吹山が見えます。
最高ですね。冬だったらたぶんもっときれい!

昨日は、夏に逆戻りしたかのような日でしたので、空は夏空で少し白んでいました。




竹生島に到着するとやはりすごい人でした!幾つかの航路があるので、それぞれの航路からやってきた方々が、一斉に参拝されていました。もう少し空気が澄んだ平日だと雰囲気も少し落ち着いたものを感じられるのかもしれません。

南に向かった龍神さん、良かったですよ^^


天忍穂耳をお祀りしているのが意外でした。物部の太陽神と竹(ヤマトタケル)が竹生島ではつながります。これは結構、重要であると思いました。



この竹生島の東側の湖北に国宝十一面観音像が存在していますように、私の感覚から言いますと、観音信仰の源流とも呼べる女神信仰はむしろ湖北に存在していて、竹生島はむしろ男神さまであると思いました。

それと近江最古の白髭神社が西岸にありますので、なにかやはり微妙な何かがあるのだと思います。

【近江】が【お生み】だとすれば、色々と辻褄が合うな〜♪とか思います^^

十一を漢字にしますと【土】になりますので、9.11も3.11も、ある意味【お生み】であると思います。


そういえば、忘れてました。


これ以降画像粗くて申し訳ないのですが、今年の3月の震災後に水の巡礼で湖北の向源寺に行った時の写真。向源寺隣の博物館には周囲の文化や観音信仰のことが詳しく説明されていて、特に湖北周辺の山の頂上に古墳がびっしりと並んでいる様は日本史の常識を覆していると思います。



結構、野大神系統がすごいと思いました!土神といいますかノヅチと言ったほうが正確なのかな?野の精霊。古代ローマではwikipedia:サートゥルヌスがサタンに変えられて封じられたんですが、日本でも同じように野の精霊がサタンにされたような感じがありますよね。。。


本来、古墳は【土】の”死と再生の機能”に焦点が当てられて築造されていたのだと思われますから、古墳時代は土と野と十一面観音はものすごく深い因果関係を保ちながら推移していたんじゃないかと思います。


私は、古墳時代を終焉させたのは古代ローマと仏教が結合したネストリウス派だと思っているのですが、土と仏教をつなぐものこそ十一面観音なんですね。

ですから元々、日本には【土】を戴く聖数11の女神信仰があったのだと思います。それがやがて仏教が入ってくるにつれて観音信仰に結びつき十一面観音と強く結合していったというのが私の見方です。

そう考えないと後期古墳と秦氏の巨大寺院が近接して混在していたことに対して説明がつきません^^


土が槌とも書くように、打出の小槌で有名な兵庫県芦屋市の打出付近、そして上記の野大神がおわします湖北も重要な古墳地帯です。

私たちの知らない古墳時代の信仰。そこにはやはり農耕の大地母神が存在したんだろうと思います。