隠しきれない鼓動 〜 戸が九死に一生を得る 〜
私たちの目の前に現れた一歩先の未来
本来のダメージよりもネガティブな結果が一歩先に来ることによって
その多くのダメージが軽減されるという
では、一体、順繰りで来ていたならば
最悪の結果となっていた未来とは何か?
私たちは来年の今頃、もっとひどい体験をすることになる
今は、それが何か、多くの人には想像だにできない
"現在は未来より生起する"とハイデガーが言ったように
今起こっていることは、未来に起こることの原因となる
現象には、必ず一貫性がある
戸が開く前には、戸は必ず閉まっている
閉まっていない戸は、開くことができない
つまり、閉じていると感じている人だけが
”岩戸開き”を認識できるのである
この差は、年々大きくなりつつある
”なぜ、戸が隠されているのか?”
なぜならば、開くという概念を認識させるためにあるのだ
この【逆転の発想】で考えると
≪戸隠≫は隠されたものではなく
開かれたものとなる。
つまり、正反対のものを認識することで
その逆の立場であろうと思われる<今>を認識できるのである
さらに言えば、逆の立場の考え方を理解できるという時点で既に答えが見えているのである
俺たちの求めた未来とは何か
なぜ、俺たちは自分たちを過大評価するのか
まず、それを冷静に問わなければならない
正当な評価を過小評価し、誤った評価をさらに過大評価している
簡単に誰にでも手が届くだけの哲学ならBeatとは呼べない
誰にも手が届かないだろうと自認する哲学を世界に広めるなどと考えること自体
大いなる矛盾なのだ
わたしたちは、”団結”の手法を間違った
資本主義を乗り越えるために資本主義的団結の方法を使った
その支配はさらに強化された
コミュニズムを自称するものにまで他者を支配しようとする
強欲資本主義の萌芽を見ることができる
使い古された、自立・自由・愛・調和などと
真に屹立した『独立した個性』など
日本に見ることができないか
忌まわしい資本主義化された芸術とアーティストにうんざりしながら
真に屹立した戦国の個性と自由なNatureに隠しきれないKodoを