それぞれの調和と排除 〜 Ecclesia I am 〜
損得勘定が究極化した社会では
誰もが自らの嗜好を”無条件の愛”と呼び
排除した者たちを”貧しい者たち”とジャッジメントする
完全主義者たちは、不完全なものを忌み、自らの不完全さを証明する。
テロリストたちは、国民国家に反逆し
国民国家はテロリストを排除する
排除はさらなる排除を生み
敵と味方は境界を生み
自らのアイデンティティを戦いによって打建てる
打建てられたものもやがて崩れ
つわものどもが夢のあととなる
勝者も敗者もない
全てが敗者の時代
ユークリッド卿、東方の最果ての国ヤマウタからラケル一行が帰って参りました。なんでも東方最果てには”排除”という観念自体がないようで、全てが”調和”という哲学に基づいて処理されるようです。これから、その奇異な哲学について元老院が聴取を始めるようです。
その調和という哲学はどういうものなのだ?
はい。何に対しても異を唱えないということらしいです。
ということはそのものたちはどんなものに対しても服従するということなのか?
いえ、それがそのようでもないようなのです。
ラケル一行が持っていた剣と弓を領海内に入れぬよう指示したのは彼らで、武器は持たないのですが、身体能力と言語能力が非常に高く、高潔な部族であるようです。
その共同体は、排除を用いずにどのように共同体を運営しているのだ。
なんでも、”心の中の神が言語を超えて我らを統治している”と言っておったようです。それを”タカアマハラ”だとも。
”心の中”とは、どういう概念なのだ?
失礼しました。なんでも、私たちが守護神を神殿に置くような作業を思考の内側に存在させることができるようなことを言っていたようです。
神殿を思考の中に置くだと。それは大地の女神を自らの中に取り込んだという意味なのか?
いえ、取り込んだということではなく、『もともと我々の中にある』という主張でございます。
どういうことだ?取り込んでいないにも関わらず、もともと我々の中にあるということは、そのものは女神から生み出された王位の後継者ではないか。まさか、そこには王権が存在するとでもいうのか?
いえ、王権のようなものはなく、神威が現れる場所のみがあるようです。
ペリクレスの全盛以来、民会を頂点にして栄えたわがアテナイよりも強い共同体があるというのか?
遠見のスネィクは『排除条項の存在する市民権は、いずれ多民族へと開かれるものへと変貌する』と予言いたしております。かの東方の国はその市民権付与の方法論がスネィクの予言した近代的価値に基づいているような気さえします。
そのものたちの国には民会と呼べるようなものはあるのか?
はい。老若男女が昼間から酒を酌み交わし、政治について語り合っています。
して、それはどのような階級のものたちなのか?
それが。。。彼らには階級制度なるものがないようなのです。
なんだと?奴隷がいないのにどうやって政治を語るひまがあるのだ!
彼らの土地は豊潤であり、しかも彼らは勤勉です。階級意識が存在せず、互いに協力し合ってひとつの大きな共同体を形成しています。王や武力が存在しないにも関わらず、なぜ彼らの社会が穏和に安定しているのかを元老院たちも理解ができないようです。
おそらく、ユークリッド卿を始めとした数学者の方たちにも、この問題についての意見が求められることと思います。
それとひとつ気になったのですが、彼らは私たちのような都市国家人を総称して”Uzu”と呼んでいたそうです。南からやってくるひとりの王を頂点とする文明人のことを指しているようではありますが。