『泡(Awa)』 と 『息(Ibuki)』 〜 Sein und Zeit 〜
『過去』は『過去』でしかない
『過去』が『今』になることはなかった
8.11スーパームーン前日、『過去』へとつながるpathが幾通りも出てきていた
しかし、それはスーパームーン後の今日、すべて再び閉じられた
一瞬生まれた希望はポンと弾けた
それは 泡
「違いを埋めるために息を重ねなければならない関係は本当の関係ではないのだよ」
と誰かの声が響く
『泡(Awa)』と『息(Ibuki)』
一瞬で弾けて消えてしまう泡を なぜ古代の大和人は
あわ(太陽)と呼んだのだろうか?
「儚さ」にこそ宿る「真実」
いつも「在る」ものに人は有難みを感じない
「存在」は「慣性」の1種であり「存在了解」の延長でしかない
「存在」を的確に認識できる脳を人間が持っているならば
大切な人を失った時に 脳はその「存在」の消滅を正確に認識できるはずである
しかし、実際の脳はそれとは逆のベクトルへと動く
つまり 私たちの脳は「存在」を確かに認識できる能力を持っていない
それは結果的に「儚さ」が「存在」であるという結論に達する