Katsura Heaven and Earth②上弦聖矢 〜 Tention降臨 〜

kohya_hibiki+spirituality2013-10-13



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上弦聖夜会にご参加くださった皆さま、昨日はありがとうございました。



椿大神社と予告させて頂いておりましたが、多くのインスピレーションの変遷を経て最終的にwikipedia:二上山 (奈良県・大阪府)となりました。


関西では有名な山であり、信仰の山でもあります。アクセスも便利なので比較的いつでも気軽に行ける山登り♪的な雰囲気の山ですが、一踏の価値あり!の霊山であると思いました。


ウズメとサルタヒコを考えたトキになぜか葛城氏とつながり、先月からのカツラつながりのことも繋がっていると感じています。

以前”Katsura Heaven and Earth①”で天と地のつながりの部分(3次元化)について言及しましたが、今回は東と西の2次元を超える部分についてのメタファが濃いと感じました。


律令が導入される天智朝までは、六合(クニ)を重視する傾向が強く、だからこそ七夕祭と八十島祭が国家祭祀となっていたわけでありますが、その後この次元的な捉え方よりも、記紀編纂や律令制定などで『文字操作』による民衆支配が強くなりました。


つまり、地球儀を使った講義を廃し、座標軸しか使用しない講義へと社会が急速に変化したということです。このEducationの変化に伴って人々の現象認識の仕方も大幅に変更を余儀なくされたのではないかと思います。


悟りや思想開闢などの宗教的哲学的意識の高度化は、後者の座標軸教育ではなかなか達成されないものです。天武紀以降、我々日本人の哲学的思考はあらゆる領域において恐るべき退化をしているわけではありますから、この魚座からの離陸時に1300年の清算をしなければならないと思います。


二上山の歴史はそれよりももっと古いもの。2千年前に噴火した時は”サヌカイト”噴出したらしいですが、当時、大変な衝撃をもって捉えられていたのはごく自然な流れであると思います。当時は大阪湾ももっと陸深くに侵食していて、奈良盆地も巨大な湖。二上山の頂上から見る眺めは東西とももっと水際が迫っていたということになりますよね。そうでなくともすべてが近くに感じた二上山の頂上。ほとんどの場合、これは【制空権】と呼べるレベルのものだと思います。


四国にも瀬戸内と太平洋を同時に見渡せる山があり、非常に神聖視されています。そこに狼煙による情報伝達手段と鳥葬文化を持つ古代種族の古代山上都市群。。ほとんどこれヤマタイコクでしょう。。


今、二上山の山頂から羽根をまとったアメリカ先住民のような人々が山頂から何人も飛び立っているのが見えますが、状況的にマチュピチュとかアンデスとか、そんな感じの雰囲気ですね。


そういえば、<葛城=ケツァルコアトル>の記事も以前、かなり書きましたが、やはり葛城氏は鳥信仰なんですね。鶴と月。そういえばすぐ近くに屯鶴峰みたいなものもありました。


月と桂。伊勢の正宮建設にもかなり関わっていると思いますが、、これもどうやって関わっていたかは以前、記事にしました。


古墳時代には魂が鳥が運んでくると考えられていましたので、その部分はおそらく賀茂氏。水鳥埴輪などもおそらくは賀茂氏主導によるものだと思います。


土佐高賀茂社の配置を見ましても、東西に賀茂氏秦氏が位置し、南に葛城氏、そして北には北斗七星と白山がいます。


葛城は勝浦でもありますから、熊野にも安房にも勝浦があります。おそらく葛城氏は黒潮制海権の多くを握っていただろうと思います。ただ賀茂氏もかなりの海人族でありましたから、両者の折り合った部分が非常に気になるところです。


賀茂氏はエジプトのピラミッドにも鴨レリーフがあるように地中海系のフェニキアです。フェニキアはエジプトや古代ギリシャ、そしてバビロニアの宗教意識の多くを吸収していた国家主義を嫌う連合王国志向の自由主義種族です。


そこに葛城氏の”コンドルは飛んでいく”のような鳥信仰。中国にこのような文明が当時ありましたから、おそらくはそこも混じっているでしょうが、それだけですとフェニキアの賀茂と宗教意識を混交させるのは到底不可能でしょう。おそらくはバビロニア系統で鳥信仰の強烈な一派が存在したはずです。おそらくそこが葛城氏の出元でしょう。


その人たちが日本に流れてくる途中で中国の鳥信仰も吸収して、最終的に日本の先住民族の白鳥信仰と習合したというのが大きな流れであると思います。


それと縄文晩期に北陸でウッドサークルを作った人たちが北欧のルーンやヴァイキングと関わりがある人たちで、この人たちが南下してきて伊勢で葛城氏の信仰と出会うことによって、正宮の守護神がウズメとサルタヒコになっていったという構図が見えます。


正宮の守護神自体は北欧神話系の考え方で、インベ氏や賀茂氏古代ギリシャ系の都市守護神の信仰を持っていました。ここに葛城がはいってくるので、とても複雑な信仰形態になります。


この習合そのものをやったのはヤマトではなく縄文系のヒノモトの先住民族でしょう。オリエントの宗教意識は習合されないからこそ東に落ち延びてくる場合が多かったので。



葛城氏の謎は尽きませんが、それぞれの上限を超えるオーバーソウル上弦聖夜会ということで大変有意義でございました^^



ありがとうございました。


シンクロ等ありましたらまたお気軽にお知らせくださいませ。


また次回もお楽しみに☆






それと、2、3日前からゲンペイトウマデンという響きが頭から離れませんが調べてみると古いゲーム。それはおいておいたとしても昨日の当麻(たいま)はとうまとも読めるなと。。東馬とも統真とも書けます。


東馬であれば多度大社をイメージします。来年の干支は“馬”でもありますのでその先駆けでしょうか。


いや、今書いていて気付きましたが馬は“子午線ライン”ですよね。つまり、円を真っ二つに割るのがネズミの0の刻とウマの6の刻。これは明石ワークの標準子午線パカッ事件から結構書いていたと思います。上弦の月とシンクロですよね。それと今日から“聖矢(Holy Arrow)”のイメージも強いのですが、円を射ぬく矢と的自体が“矢的(ヤマト)”の語源のひとつでもあるということも度々書いてきましたので上弦の月というのはヤマトにとってひょっとしたら最も重要視された聖月だったのかもしれないですね。。


それと当麻は大麻とも書け、訓読みは“おおあさ”ですよね。東西軸の東側には必ず忌部氏とアサル(オシリス/大国主)がいますよね。そのにおいがするということはかなりの確率で東側は湖だったということになります。当麻周辺と忌部氏族との関係が今のところわかりませんが、奈良盆地対岸の三輪自体が大国主のメタファでありますし、二上山から大和三山が見えますので『二(二上山)』と『三(三輪山)』で『五(みいつ)』の宗教都市を構築したのかもしれません。五はいつき(厳島)でもありますので、このことからも奈良盆地が湖だったことがわかりますね。


もちろんこれはアマテラスが構築される前の話なのでナガスネヒコ統治時代かもしくはそれ以前であるということは注釈させて頂いておきますね。


それと『五』は物部氏のメタファでもありますので、東の湖に太陽を押しつけるという“押照”の暗号は奈良盆地が湖だった場合のみ成立するということになりますよね。この“押”が“忍”であり、あるいは“雄”につながっているのも言うまでもないことであり、明日、足、葦、朝、牛、オシリス、アサル、につながっていくのも自然な流れになってくるわけでございます。ナガスネは脚を表しますが、同時に“流す”を表していたのではないかと思います。


“流す”はサスラヒとスサノヲの暗号


トゥマは、“玉(魂、多摩)”とも言えますよね。


全く、サルタヒコとウズメから遠ざかっていますが、やはりこれもすべて『ウズメの無茶振り問題』によるものだと思うのであります(笑)



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