新年のご挨拶
皆さん、明けましておめでとうございます。
遅い新年の挨拶となりましたが今年もどうぞよろしくお願いします。
昨年の飛び立つ龍の年から引き続き、皆さんにとっても辰巳な良い年となれば良いなと思います。
ご連絡を頂いているにも関わらずご返信が遅くなっている方々、申し訳ありませんmm今年もどうぞよろしくお願いします。
若い人たちが地域を構築し政治を動かし、氏神を愛し、国を愛するという普通の国になっていけば良いなと思います。
天皇と聞くと戦争をイメージしたり、宗教と聞くと洗脳をイメージしたり、思想哲学と聞くと難解さをイメージしたり、戦後人工的に創られたそれらの価値観を私たち若い世代の人間が理性的に対象化していくことによってしか国を変える方法はありません。
スピリチュアルがその霊性復古運動の最先端になるはずでしたがいつからか資本主義社会に適応できない人たちが最後に行き着く墓場になってしまっています。
その状態を変えることはできませんし、変えようとも思えなくなったのが昨年一年でした。
自分が変われば世界が変わるという使い古された戦後価値観が今でも流行ってしまう社会土壌。命を懸けて社会変革を成し遂げてきた先人に対してとても失礼なことであると思います。何十年も国学を啓蒙して幕藩体制から脱皮した我が国。自分が変わったから社会が変わったわけではない。明確な目標と正確な着地地点を共有できる教養の高い理性的な若者が続々と日本に生まれてきたからこそ成し遂げられた変革。誉められたいがために生きている人たちが多い現状ではそのような高いレベルの社会的要求は実現されるはずもなく。
ただ理性的な人たちがいれば惜しみなく援助と協力をし続けていくという決意とともに発進した年初でございます。
他者がやらないような嫌な仕事も自ら進んで受け容れる。老いも若きもそのような戦前の日本人の精神に立ち戻れば何か特別なことをせずとも国も経済も普通に発展していくことでしょう。
楽しいことだけをやっていればいいんだという大人になれない人たちが増えることによって社会変革のエネルギーはどんどん落ちていきます。
そんな状態から私たち自身が脱皮する、まさに巳の年となれば良いと思います。
苦しいこと辛いことがあってもそれを乗り越えられるのは内なる理想郷を持っているがこそ。その理想郷への信仰を失ってしまったから日本人は苦難への耐性をなくしてしまいました。
目標と目的を持たないスポーツの練習は単なるしごきでしかありません。しかし、どこに向かうのか?という明確な目標と目的、意志と意識を持っている人間はどんな苦難でも乗り越えられる”理由”を有しています。結局はやはりこの形而上の概念の話となります。ひとつの民族を形成しているのだという普通の意識、そして子供たちのために大人である私たちが今、何をしなければいけないのかという人間として当たり前の問題意識、そしてそれらを実行に移す当たり前の行動力、、特別なことは全く必要ないと思います。普通に自然体で。
今年こそ皆で普通の日本人になれるよう頑張って参りましょう!
年しょっぱなから押し付けがましい内容ですがスパニッシュギターでもどうぞ
アイロニー溢れるケルトを含めた先住民族の文化、好きで好きでたまりません。そしてそういう雰囲気を持っていた戦前の日本の度量の広さと教養の深さ。。
資本主義が悪いわけではありません。『健全な』資本主義精神が失われたことに問題があるのです。
政教分離、三権分立、、何年やってもできないんだからいっそのこと祭政一致に戻せばいいのです。
日本人はどこまでいっても日本人、近代国家などという馬鹿なことを真似する必要はないんです。
社会主義的資本主義日本経済思想、天皇を中心とする立憲君主制、強烈な地域性と自由と平等意識
これらはまさに古代大和の雰囲気そのもの
新しいことをする必要はありません。記憶を取り戻せばそれが最も斬新なスタイルとなるのです。
日々、先祖に感謝していなければ決して見えてこない大和のヴァースビジョンです。
受け取ったエネルギーに対しては言葉に出して感謝の意を述べる。
そのためには何を与えられ何を与えたかを認識できなければなりません。
そしてそれを認識できなければ私たちは与え与えられて生きている魂共同体だということも認知できません。
生者だけがこの国を支えているわけではありません。
人間として基本的なことができて初めて古代大和人の『直』の精神に到達することができます。
それを今でも継承しているのが神社神道であると言っても良いと思います。
それでは、今年もどうぞよろしくお願いいたします。