問題と対処


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いつもありがとうございます。


パナソニック、シャープなど大幅な赤字でニュースになっていますけれども円高のボディーブローが徐々にきいてきたのでしょうか、グローバル競争に負け続けている影響でしょうか、理由は単純なものではなく、かなり複合的なものであると思います。


このような複合的な不調・閉塞感によって戦争は起こってきたわけでありますが、今回はどうでしょうか。当事者になってそれを回避する哲学を打ち建てるつもりはありませんが冷静に分析しますと現時点ではその危険回避の能力は日本にはなさそうです。


大阪中心部の川面と堤防最頂部の高低差は多く見積もっても10Mほどしかありません。南海地震が起きれば津波は軽々その堤防を越え堤防のすぐ横に無数に設置されている地下街への入り口へと侵入します。


南海地震での太平洋沿岸部への津波到達最速予測は10分、大阪中心部地下街への津波流入最速予測は地震発生より15分と見ても良いでしょう。


東京・名古屋の地下街の状況もそれほど変わらないですから、先ほども通ってきたのですが悠長に地下街を増築工事しているサマは、震災前に安心安全と洗脳聖書を配布していた電力会社とさほど変わりはありません。


これが例えば江戸時代の幕藩体制下であれば間違いなく危機感を持って災害予防に全力を傾けていたと思います。なぜなら震災被害の莫大な復興費は藩主が賄わなければならないからです。

それだけでなく余裕があると幕府から見なされた藩は他藩の救援や普請もさせられることもありますからかなりの自立性と緊張感が漂っていたように思います。経済自立性が高いため失敗が許されないので、切腹などの文化も依然として存在しました。


翻って現在の日本の政治システムを見てみますと政治家が自分たちの失敗を延々と国民になすりつけ、こすりつけ、吸着して、国債発行で国民財産を食い潰しています。


分かりやすくご説明しますと自分の子供が将来働いて稼ぐだろうと予測される給料を『頑張っています!必ず達成します!幸福は訪れます!』と言いながら前借りしているような状況になります。


はっきり申し上げて日本という国家自体がニートであり、フリーターと呼べると思います。


甚大な原発人災を起こした1年半経過した現在でも原発周辺部被害想定が正確ではないとかの一悶着も起こっていますが、そんなことをやっている場合なのでしょうか?優先順位を考えればセカンドインパクトに備えることが失敗を反省する有効な方法だと思いますが全体的にそのような雰囲気はあまり感じられません。

話を冒頭に戻しますと上記のような一億総ニートのような状況が今の日本の閉塞感を生み出している直接的原因になります。


現実的に企業や官庁で働いて自立しているとはいえ、公務員は地方交付税に寄生したニートであり、経団連に加盟し政治を商業資本主義の道具にしている企業は国民の社会資本に寄生した産業ニートと言えます。


本質的自立とは幕藩体制下のような政治システムのもとでもっとも優先すべき政治的課題に基づき行動できる公人、そして政商を行わないピュアな資本主義精神を持った企業家、そしてそのような社会的価値を高いレベルで共有できる国民あるいは労働者。


残念ながら現在の日本には上の構成要素のひとつもありません。


その結果、問題を解決できないニートシステムが国民財産を食い潰していくというような状況が延々と繰り返され、細分化された極度分業で自分にはどうすることもできない・関係がないという諦めと妥協と無関心が都市を覆っていくわけでございます。


この状況を回避する唯一の方法は国民ひとりひとりが思想哲学的に成熟し、マルクスを超えるようなポストモダンなあるいは脱構築のような時代的哲学を私たち哲学的テクノクラートが互いに共有しあわないといけないと思います。


ただ残念ながら現在はそのようなレベルではありません。



コトが起こってから対処するというのは動物的な哲学レベルです。もし私たちが先祖に恥じない哲学を体現するとすれば災害を予見する行動をいますぐ起こすことでしょう。


ざっくり見積もりましても地下街での水死者は一万人以上になることは確実でありますので昨年の原発人災を超える対処不足による巨大人災に発展する可能性があります。


そのようなことを前もって予見し回避できる文明レベルに戻していければ幸いです。


これらのことは私にとっても誰にとっても無関係ということはなく、皆が何らかの精神を共有していると思います。


誰しも豊かで幸福になりたいと願っていますから、不幸の絶対数が多くなればなるほどその体験者は不幸を繰り返さないために社会資本を自分の手元に集めようとします。


強欲(greed)資本主義のシンボルでもありますユダヤ資本はディアスポラの結果、起こりえたものとも言え、強欲を全て否定するのも少し問題があるように思います。


現在のグローバル経済の加速によるドメスティックな労働環境の過酷さも強欲資本主義の合しょう連こうによって発展してきたものでありますがより高い哲学的レベルで考えますと、全ての人たちが幸福を感じることができる社会システムとはいかなるものか?というギリシャ哲学者たちが問い掛けていた原点に戻らざるを得ないわけであります。

民主主義や資本主義にはそもそも欠陥と問題があり、現代はよりよき選択肢を選択しているに過ぎないということは経済学部や政治学科の大学生ですら知っていますが、当の政治家や利権保持者は一度甘い蜜を吸うと高い問題意識を持つことを忘れ最高級のアドバンテージを維持することだけに血道をあげるカブトムシ脳に陥ってしまっています。

残念ですがこれが今の日本人の限界と言わざるを得ません、そしてそれが少なからず私にも該当しているだろうことを反省せざるを得ません。



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