住吉大社巡礼記_5

本日も色々とありがとうございます。朝からwikipedia:玄武型の雲を見て、とても縁起の良い一日でした*^^*

昨日の南斗と北斗の話から一転、南から玄武が出たことで、やはり【南北の統合】のメッセージかなと思いました。

玄武は北を表わすのですが、wikipedia:玄武岩という語がwikipedia:玄武洞から来ているというのは皆さんご存知でしょうか?玄武岩ありきで玄武洞という名ができたように思われますが実は逆なんです。

ライズアクエリアの最終遠隔とも関わっていますし、HMTの明石ワークとも関わっていますので天の采配を強く感じます。

『 天の時、地の利、人の輪 』  - 天地人ですね☆


昨晩は唐突に<芽吹き・息吹き>のメッセージがきまして、”売布(メフ)神社は芽吹(メブ)神社”という公式がやってきました。確かに売布神社の境内には豊玉神社が境内にありまして竜宮城満点の雰囲気でした。昨年、訪問しました。

住吉大社内にも三ッ鱗がありました(上写真は住吉)売布神社もそうです。

(上写真は井の頭弁才天)北条紋・弁才天紋というのが一般的ですが

(上写真は江ノ島)自分にとっては、御生れ紋・龍穴紋という見方が強いです。意外と最近までこれ関係の祭祀は残っていたようで源頼朝も鎌倉に江ノ島竜穴を含む【七瀬の祓所】を設けており、実は清盛も福原に【七瀬の祓所】を設けていたことを最近知りました。

三ッ鱗の真ん中の三角がとても重要ですよね。7つ目の鱗とも言えるし、逆鱗とも言える。本当はそこに真実があって、芽(目)が出るんですね。

古代日本人の感覚から言うと、目が海から出てくるんですね。つまり、海は涙ということです。口が息吹き、鼻が龍穴であり、山。海にせり出した岩場をコノハナ(サクヤ姫)と呼びます。大阪にも名残がありますよね。wikipedia:ミサキの一種です。耳は忍穂耳であり、菊(聞く)理でもあります。髪は神だから、人間の部位を地形に重ねるのがとても好きだったようです。

wikipedia:ダイダラボッチとかwikipedia:ガリヴァー旅行記の世界です。巨人の感覚から見ればむしろ人間は全員、一寸法師ですよね。少彦名は、決して小さいわけではなかったですけれども、少彦名の存在はガリバーなしでは考えられないということなのでしょう。住吉大社に少彦名の影が強く出ているのは意外でした。

一寸法師を小さいと思うのは人間に基準を置いているからであり、それはこの地上で必ずしも正しい見方ではありません。なぜならば、八百万神々の前では人間はひとつの種に過ぎず、大きさの価値尺度は無数にある大きさの価値尺度のひとつに過ぎないからです。

このような哲学的な深い思考が古代日本人にはありました。哲学的に深くなるということは、当たり前を当たり前と思わなくなることです。つまり、『命』について深く考えたことがある人は、『命』を当たり前と思わなくなり、『愛』について深く考えたことがある人は、『愛』を当たり前と思わなくなり、『水』について深く考えたことがある人は、『水』を当たり前と思わなくなります。当たり前と思わなくなった時に初めて自らが行動したくなります。これらは全て随神道の実践であり、そのプロセスを御魂開きと私は呼んでいます。

”居ても立ってもいられない”と言いますが、住吉大社の矛社・楯社の意味を読み解くと<射る事も楯もいらない>ということになるかと思います。つまり、攻撃も防御もいらない何かが、住吉大社の本宮なのです。これはかなり深い哲学的テーマであると思います。エビスさんのような感じもしますが、もっと深い何かがあるような気がします。それはまた明日以降に・・・^^



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