信の太陽神復活 〜 いなれ うなれ 花になれ 〜

以前、長岡氏のことについて少し触れましたが、やはりこの長岡氏-秦氏ラインというのは何か巨大なパイプを感じます。

知り合い(一度しかご挨拶したことがないのですが)が、宗部郷(そがべごう)のことを書いておりまして、やはり秦氏蘇我氏の関わりの深さを感じた次第です。

古代、波多(ハタ)国という国があり、波多国のいつかの国造に蘇我大王という大王がおり、曽我山古墳という前方後円墳と何らかの関係があると思っていました。天韓襲命(あまのからそのみこと)という名が引用されますが、おそらく違うでしょう。

そう考えると、皆が清和源氏を名乗っていた戦国時代に長宗我部がひとりだけ秦氏の末裔を公言した変わり者であったことの根拠が見出せるというものです。

それを考えると甲斐武田氏の嫡男が土佐に来てなぜ蘇我を名乗り始めたのかについても辻褄が合います。つまり、武田の4つ菱紋は神功皇后紋でありますから、私たち大和民族のルーツには、悪人として討伐された蘇我(十我)の何かが強く遺伝しているのです。つまり、これは縄文の先住民族の血ではないかと思います。蘇我の十と戸隠のことは以前書きました。

ヤマタノオロチをやっつけて清々しい、、、であるとか、蘇我氏悪玉説というのは非常に怪しいということでしょう。各地の神社を巡っていますと、そもそも崇仏/廃仏の争いが起こったという歴史書の記述に疑問を感じざるを得ません。

これらの流れが御旗(秦)につながるわけであり、これがでもありますよね。

天上の旗(社会性のある理想)を見上げられないものは、狐になってしまう、という戒めが稲荷にはあるのではないかと感じます。ナルには【鳴る/成る/生る】の意味があります。まさに20歳(ハタチ)で社会性を認識し、天上の旗を認識し、自分のためではなく社会のために尽くす、というモノ(物部氏)の考え方を体系化したものではないかと思います。昔の元服は13歳ぐらいでしたから(wikipedia:十三詣りなどを参照)十三、二十というのは、やはり非常に深い意味を持ったメタファーであると思います。



『今』とは、<出づるの間>の意味でしょうか。居間とも言いますよね。つまり、出づるの部屋。鶴を飛び立たせる部屋に居るということです。色々な雑念に捉われた人は、部屋の外がどうなっているのだろうか(憂い)、足音を立たせている人はうるさいな(怒り)、なんでこんなところに押し込められているのか(文句)、本当にこんな部屋から鶴を飛び立たせることができるのだろうか(不安)、私にはとてもそんなことはできない(自己否定)、、、etc

これらは全て、過去と感情と不確かだと感じる未来への捉われです。人間だから色々あるでしょう。それは仕方のないことです。ただそれとは違う人間のあり方もあります。もう一度リンクしますがwikipedia:無明とは、実際には無いものを有ると考えることです。


憂いでも怒りでも文句でも不安でも自己否定でもない、【信】を用いるのも大事でしょう。

自分を信じる、相手を信じる、社会を信じる、未来を信じる、国を信じる、世界を信じる。

【信】は全てのネガティブエナジーを祓います。

なぜならば、信じることが【愛】だからです。

wikipedia:熾天使セラフィムは、神への愛と情熱で身体が燃えていると言われます。それはやはり信じることから始まるということでしょう。

ただ、その対象はヤハウェである必要はなく、それぞれの内なる神で良いでしょう。

皆がそれぞれの未来を信じ、その未来を愛することができる社会へさらに進むため、今日、冬至の太陽神復活の日からさらなる出発を致します。

太陽も生まれ変わり、人間も生まれ変わり、年神さまも生まれ変わります。



繰り出した感情は全て自分に戻ってくる鑑

鑑を磨けば磨くほど 内側を鑑みる力は高まり

内なるカ神は さらに光る

カカ ハハ チチ トト モモ ミミ クク シシ ササ

全ては揃っている 絶妙に揃っている妙理



Tiger Tanaka - Aki(Japanese Chillout)

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